「家族みんな誰もが楽しくいられるように、ナリワイをつくる。」
”しごと”、というのは今からはこんな思いでするものになる。
って、書いてみて、おや、では今まではどんな思いでやっているというのだ、とふと内証する自分がいます。
きっとこれを読んでいるのは30代ぐらいから60代ぐらいの方なんだろうなと思うのですが、家族のため自分のために一生懸命お金を稼いでいたり、働いていたりして社会のポジションを得て生活している。
なんら問題もなく、それどころか「すごいな」って思います。そう簡単にできることではありません。
でも、そこにふとっ「こんなことしたくないな」とか「こんなこと意味ないじゃん」と思う自分を発見したら、さてそれをどうするのか?覆い隠すのか、それとも消しゴムで消してなかったコトにするのか?いくら考えてもしょうがないので放置してしまうのか?
「家族みんな誰もが楽しくいられるように、ナリワイをつくる。」というのは、働く本人が楽しくいられなければだめなんです。ナリワイが苦痛ではいけないのです。
そう、今日は、仕事をデザインする話です。
ぼくはある時、「もう人のために働きたくないな」って思うようになりました。そのうち自分の中のもうひとりの自分が、「自分のために、自分の周りのためにデザインをしたら良いんじゃないの?」と言う声も聞くようにもなりました。もう一方で「そんな仕事はないだろう」という常識の大きな声も強くありました。
実は、デザインをナリワイとしてやろうとした時、絶対にしてはいけないことを決めていました。デザインってちょっと間違えば凶器になることを知ったからです。1980年代前半に豊田商事事件というのがありました。
簡単に事件を説明すると、”高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2000億円近くと見積もられている。強引な勧誘によって契約させられた挙句に老後の蓄えを失った被害者も多い。”という事件です。自殺まで追い込まれた被害者も少なくなかったようです。
そのときに勧誘の大きな材料、要因となったのが豪華なパンフレットです。1980年代前半といえばカラー印刷がまだまだ高価で、小さな店においてはDMをつくるのにもちょっと頑張らなければいけないくらい高価でした。そこに豪華なパンフレットです。相当な訴求効果があったのは間違いありません。ニュースにもそのパンフレットが度々紹介されたのを覚えています。
このパンフレットを作ったデザイナーや、コピーライター、ディレクターはどんな気持ちなんだろうか?罪の意識は持たないのだろうか?「オレは、頼まれたから言われるように作った」では済まされないだろう。その時ぼくはそう、思いました。でも、そこまでの罪もないのかもしれませんし、考える必要もないのかもしれません。経済行為です。
いま話したのはぼくのナリワイがデザインなので、例として取り上げましたがどんな仕事も『なんで、こんなことしなきゃいけないのか』みたいな事はあるに違いありません。
その時、「もう人のために働きたくないな」と言葉にだしてしまうことだってあるかもしれません。ぼくの場合ならば、そこまでしてデザインで稼ぎたくない。デザインに倫理を組み入れるのがなぜ悪いのか?と思ったわけです。
ぼくの考えは「もう人のために働きたくないな」と言葉にだした人は、自分の価値観をちゃんと持ったわけですから自分でナリワイを作る努力をしたほうが良い。世の中の仕組みが正しいわけではない。努力は自分の価値観に対してしたほうか良い。そのためにはどうしたら良いのか?と問うことができればそこが始まりだ!というものです。
いまの時代、組織がなければ飯が食えない、なんてことはありません。
自分の運命は自分で切り開くことができれば、人の価値観の中でムリムリの人生を歩む必要なんてなくなります。いまは、望めばそれができる社会です。
そのためには自分をちゃんと見つめなくてはいけません。以下の3つ問はそれを可能にします。突然ですが、ちょっと考えてみましょう。
1,あなたは自分の真の専門知識を見極めることができていますか?そして評価できますか?また、あなたの資質の中でお金に変えられる一覧をつくれますか?
2.あなたはこれまでビジネス、特定の分野において何らかの価値や重要性を引き出したり与えたりしたことはありますか?それはなんですか?
3.あなたが達成したものの中で高い評価を得ただけでなく、他の人が教えてほしいと希望したものはなんですか?
つまりこの問の答えが、あなたのスキルと能力なわけです。経済的自立のための力になるあなたの隠れたパワーです。
そして、このスキルと能力を欲しがっているのは誰なのだろうか?を考えれば自分の運命は自分で切り開くことができのです。
これを、小さく試しながら大きく育てていくと良いと思います。
どこにでもある美味しいコーヒーは大企業がつくりだしますが、あなたしかつくれない、とても美味しいコーヒーを待っている人がいます。その人を探し出して提供できるシステムを構築しデザインすれば良いのです。
楽しいナリワイがぼくらの半径10メートルを変えていければ、世の中捨てたものではありません。