小説家片山恭一の文章の書き方

25 小説は履歴書のつもりで書こう

 大学で後期の授業がはじまり、今年度も学生さんたちに小説を書いてもらおうと思っています。まずテーマ、構想を考えてもらいました。何を書いてもいいし、分量も自由だと言っているのですが、それにしても……きみたち、これってちょっと幼稚じゃない?

 魔法使いが出てきたり、龍が登場したり。そこに恋愛があって、と一種のファンタジーを書きたいのはわかります。ゲームやコミックの影響も大です。にしてもねえ。光源氏なら藤壺との不義の恋に悩んでいるお年頃なのですよ、きみたちは。

 いったいきみたちは小説を、文学をなんと心得ているのか! 大層なものと言いたいわけではありません。小説は小さなお話ですからね。この場合の「小」は卑近で卑小という意味でしょう。身近でつまらないものを扱うのが小説です。だが通俗が通俗で終わらないのも小説です。通俗のなかに至高や珠玉を見いだす、卑小さのなかに偉大さを見いだす。その発見が小さなお話を文学にしているのです。大袈裟に言うと芸術にするのです。それは山の土を捏ねて作った茶碗が芸術作品になるのと同じです。

 いや、本当はそんなことを言いたいのではありません。小説には、言葉というものには、きみたちが考える以上にきみたちが出てしまうのです。SNSの書き込みが炎上したり、一つの投稿がきっかけでいじめや中傷が起こったりしますよね。もちろん卑しい連中がやっていることですが、あなたの何気ない言葉が、誰のなかにもある卑しさを駆動させることも事実なんです。もちろん万人のなかに眠っている善を目覚めさせることもあります。

 ぼくたちは思っている以上に言葉にたいする嗅覚を発達させています。ちょっとした瑕疵を嗅ぎ当てて、そこを突いてくるわけです。広く人目に触れる場合はとくにそうです。小さな傷でもSNSの上ではPCR検査のように増幅されますから、人々の卑しい心に油を注いで炎上したり、誹謗中傷の的になったりするのです。

 だからぼくはきみたちにこう言いたい。小説は会社に提出する履歴書のつもりで書きなさい。あなたが書いたものを読んで、こんな幼稚なことしか考えていないやつはうちの会社にはいらない、と思われたらつまらないじゃないですか。小説にはあなたの人間性が出てしまいます。自己認識や他人にたいする感性、食や性をどんなふうに扱っているか、さらに意識・無意識の先入観や偏見なども露呈してしまうものです。たわいないファンタジーめいた小説でも、あなたの性格や素性は露わになるのです。

 そういう意味で小説とは恐ろしいものです。どんな言葉も取扱注意です。ぼくもうっかり軽率なことを書いてあとから後悔することがあります。うわべを取り繕ったり、読者に忖度したりする必要はありませんが、確信のあることを書いてください。小説を書くことは、そこに作者としての「あなた」という新しい人格が生まれるということなのです。

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