小説家片山恭一の文章の書き方

2 書きはじめるまで

 小説を書きはじめるとき大切なことは、やっぱり気持ちを高めるってことです。モチベーションを燃え上がらせる。「書きたくて、書きたくて、もう我慢できない!」というところまで内圧を上げる必要がある。これは小説にかぎらず、他のことについても言えるように思います。

 とくに小説の場合、基本的に誰も必要としていないものを書くわけですからね。ぼくの小説がなくても誰も何も困らない。そんなものを「どうだ!」って感じで世の中に投げ入れるわけです。社会にたいする挑戦状みたいなものですよね。ボクサーが試合をはじめるようなものかもしれません。彼らだって「この野郎、殴り殺してやる!」というくらいの気持ちになってないと、とてもリングの上で闘えないと思うんです。小説を書きはじめるのも似たようなところがあります。

 小説以外のものはどうか? 一年ほど前にスティーブ・ジョブズについて書きました。友だちの写真家がジョブズの若いころの写真をたくさん撮っていて、来年はジョブズが亡くなってちょうど十年だから、それに合わせて二人で本を作ろうって誘ってくれたんです。しかしぼくはジョブズなんて興味もなんにもない。好きでも嫌いでもない。自分とは関係のない人だと思っていました。アップルの製品を使ったことはないし、だいたいスマホも持っていないんですから。そんな人がジョブズのことを書いちゃっていいわけ?

 せっかくのお誘いだけど、こりゃ断ろうかなと思いました。適任じゃないと言って。でも友だちはけっこう強引な人で、自分が撮ったジョブズの写真をじゃんじゃん送ってくるわけです。他にもスティーブ・ウォズニアックとかビル・ゲイツとかアラン・ケイとか。それで「書け、書け」ってせっつくわけですよね。

 しょうがないからジョブズについて書かれた本を何冊か読んでみました。伝記みたいなものです。そのうちに少し書けそうな気がしてきました。こういう切り口で、こういう文体で書いたら、自分の作品になりそうだという見通しがついてきた。

 それで少し集中的にアップルという会社のこととか、コンピュータやインターネットのことを勉強しはじめたんです。すると自分との接点が見えてきた。ガラケーしか使ったことのないぼくだからこそ書けるジョブズがあるはずだ。居直っちゃったんですね。「よぉ~し、ジョブズ信奉者、アップル信者に喧嘩を売ってやる!」ってね。

 やっぱりある意味、闘いですよ、ものを書くってのはね。やっつける相手を想定したほうがいい。モチベーションが上がって燃えます。当たり障りのない、毒にも薬にもならないようなことを書いてもつまんないでしょう?

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