小説家片山恭一の文章の書き方

12 自分を届けるってこと

 みんな多かれ少なかれ「自分を届けたい」と思っているんじゃないかな。届いてほしいわけです、自分が誰かに。なぜかというと、自分は自分だけでは自分ではないからです。承認が必要というか、「たしかにあなたを確認しました」と誰かに言ってもらわないと、自分が自分である気がしない。つまりね、自分を誰かに届けるってことは、その誰かを経由して「自分が自分に届く」ってことなんです。

 自分で自分を喜ばせることってできませんよね。自分で自分を笑わせることはできない。まあ、自分で自分を苦しめることはできるけど、ポジティブな感情、正の情動っていうのは、かならず他人経由なんです。誰かを喜ばせることで自分もうれしい。だから子どもにおもちゃを買ってあげるわけでしょう。好きな人にプレゼントをあげるわけですよね。誰かを笑わせて、その笑いが感染して自分も笑ってしまうとかね。どうも人間の仕組みがそういうふうになっている気がします。

 とにかく自分を承認させたい。きみを笑わせているぼくとか、あなたを幸せにしているぼくとかね。広い意味でのパフォーマンスです。いろんな方法があると思うんです。音楽で人を楽しませるとか、漫才で人を笑わせるとか。芸術っていうよりは芸能ですかね。スポーツや将棋で傑出した才能を発揮するっていうのも、賞賛というかたちの承認ですよね。あと有名になるとか、お金持ちになって人に羨んでもらうとか。でも、そんな大げさなことをしなくても、何気なく自分が自分に届いてしまうことがあります。

 高校生のころ仲の良かった女の子と、ときどき図書館で一緒に勉強することがありました。もっとも勉強は口実で、英語や古文などを少しやったあとは、お喋りをして過ごすことが多かったんですけどね。二人ともロックが好きだったので、音楽の話などもよくしました。

 あるとき曲の邦題からオリジナル・タイトルを答えるゲームをはじめたんです。どっちが言い出したのか忘れけど、ポール・サイモンの「母と子の絆」は「Mother And Child Reunion」、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」は「It Never Rain In Southern California」みたいなことですよね。「じゃあ、チェイスの『黒い炎』は?」とたずねると、「Get It On」と彼女は即答してね、その瞬間、ぼくの心は激しくよろめいたものでした。

 チェイスとか「黒い炎」とかいっても、いまの人は知らないだろうけど、1971年か72年ごろに4本のトランペットを派手に吹き鳴らす元気いっぱいのロック・バンドがいたんです。そのころは「ブラス・ロック」とか呼ばれていましたけどね。彼らのほとんど唯一のヒット曲が「黒い炎」なんです。まあ、そんなことはどうでもいいけど。

 あれはまさに自分が自分に届いた瞬間だったと思います。当時はそういう言葉は知らなかったけど、いまから振り返るとそういうことだったような気がします。何が届いたかというと、自分の趣味、感覚、知識……誰も注目しないマージナルなものが、彼女には届いた。そういうかたちで「自分が自分に届いた」と感じたんですね。

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