小説家片山恭一の文章の書き方

22 どうすればいいんだろう?

 ぼくが小説を書きはじめたのは大学に入ってからです。学部は農学部で、将来は大学に残って植物学か何かやろうと思っていました。阿蘇か九重あたりで植物採集でもしてね。まあ『となりのトトロ』のお父さんみたいなイメージかな。サラリーマンにはなりたくないな、となんとなく思っていたようです。仕事らしい仕事はしたくなかったんですかね。しょうがない若者だなあ。その後、いろいろ紆余曲折があって、いまはこんなことをしているわけです。

 小説らしい小説は大学に入ってから読みはじめました。そのころ主に読んでいた作家は、戦後派と呼ばれる人たちです。野間宏とか武田泰淳とか埴谷雄高とか、少し下の世代では安岡章太郎とか堀田善衛とか遠藤周作とか福永武彦とか。みんな太平洋戦争の前に生まれて、出征した人もいるし、少年時代に戦争を体験した人もいます。いずれにしても「戦争」が、小説の重要な題材になっていたんですね。

 大岡昇平の『野火』とか『俘虜記』とか、いまの若い人は読まないのかなあ。彼はフィリピンのほうで戦争をしていたらしいですよ。『俘虜記』の冒頭にはミンドロ島で捕虜になったと出てきます。『レイテ戦記』という長い小説もあります。いずれもルソン島の近くの島々です。堀田善衛の『時間』は南京虐殺のことを書いていますし、武田泰淳の「審判」の舞台は上海だったかな、やはり中国人を殺す話です。戦地には赴かなかった人たちも、空襲とか戦後の飢えとか食糧難とか、戦争がらみで小説の題材になりそうなものをたくさんもっていた。

 そういう小説を読んでいたものだから、戦争みたいに何か特別な体験がないと小説って書けないんだなと思ったんです。少なくとも人が面白がって読んでくれるようなものはね。朝起きたら虫になっていた、なんてストーリーはそう簡単に思いつくものではありません。やっぱり自分が体験したことが、なんらかのかたちで小説の題材になることが多いわけでしょう。ぼくみたいに地方都市の公務員の息子に生まれ、ほとんど苦労らしい苦労も知らずに甘やかされて育った者に、いったいどんな小説が書けるだろうか? しかも将来は大学に残ってトトロのお父さんにでもなろうかっていう、不届きな奴でしたからね。

 見様見真似で小説を書きはじめたころ、大きな影響を受けたのは大江健三郎の初期の作品でした。彼が東大の学生時代に書いた「奇妙な仕事」とか「死者の奢り」とかね、いずれも大学生が附属病院でアルバイトをする話です。主人公はどこにでもいそうな大学生……ってことは、ぼくでもいいわけですよね。しかもこれらの作品を、当時大学生だったぼくは読んで面白いと思ったんです。こういうものなら自分にも書けそうだってね。もちろん大変な思い違いです。自他の才能の差ってことが全然頭に入っていなかったんですね。ということで、おあとがよろしいようで。

ぜひ!SHARE