小説家片山恭一の文章の書き方

14 言葉の本質ってなんだろう?

 自分を届けるための言葉は、メッセージや情報ではないと思うんです。たとえばおいしかったもの、うれしかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと……それって情報じゃないでしょう? メッセージでもありませんよね。もっと何か直接的なものです。

 イギリス在住のブレイディみかこさんの配偶者はイギリス人(アイルランド人だったかな?)で、彼女たちの息子は日本語がまったく喋れない。でも実家のある福岡に里帰りすると、英語しか喋れない息子と、博多弁しか喋れない彼女の父親(息子にとっては祖父)のあいだで、絶妙に会話が成り立つんだそうです。「人と人とのコミュニケーションには、意外と言語はそんなに重要ではないのかもしれない」と彼女は書いています。

 「人と人の」とみかこさんが言っているところがポイントだと思います。コミュニケーション全般ではないんです。生身の人と人ってことですね。その場合、言葉は重要じゃない。コミュニケーションで言葉が重要な役割を果たすのは、たとえば裁判ですね。これは言葉と言葉の勝負って感じです。でも生身の人と人のコミュニケーションじゃないですよね。裁判官とか弁護士とか検察官とか、AIが代行できそうな人たちが使っている言葉です。ビジネスの話などもそうかもしれません。会社の代理人同士のコミュニケーションです。

 あと政治家の演説などでも言葉は大事です。映像で見るとヒトラーなんか大衆を熱狂させていますよね。『パットン大戦車軍団』という映画では、冒頭で連合軍の伝説的軍人に扮したジョージ・G・スコットスコットが凄まじい迫力で兵士たちを鼓舞します。「奴らを祖国のためにおおいに死なせてやるがいい」とか無茶苦茶なことを言うんですが、こういうのも人と人のコミュニケーションとは言いません。政治家と大衆、将軍と兵士たち、というように集団や群れにたいして発せられる言葉です。電通なんかに作らせると上手かもしれません。将来はやはりAIが代行でしょうね。どっちにしても、ぼくたちには興味のない世界です。

 はじめて旅行会社のツアーで海外へ行ったとき、ぼくは観光しながらできるだけ正しい英語を喋ろうとがんばったものでした。だって中学・高校・大学と一応勉強してきたんですからね。「Do you accept this credit card ?」とか言いたいわけです。ところが佐賀かどこかから参加していたおばちゃんたちのグループは、「このカード、OK?」で済ましちゃう。しかもお買い物はスムース。ちゃっかり値切ったり、キーホルダーを一個おまけに付けさせたりしている。「負けた!」と思いましたね。

 この場合も、一応は商談ですよね。地元の店員と外国人観光客のあいだの。でも佐賀のおばちゃんたちは「このカード、OK?」とか言いながら、持ち前のキャラクターで、商談のなかに「人と人の」という要素を持ち込んだのだと思います。政治的な駆け引きでも使われる手です。「腹芸」とか言ったりしますよね。ここで重要なのは言葉よりも、むしろ人間味とか人間力とか人間性とかいったものでしょう。

 ぼくたちが文章を書くことで伝えようとしているのも、人間性みたいなものではないかと思います。「自分を届ける」ってのは、情報やメッセージを届けるんじゃなくて、自分の人間的な部分を届ける。小説にかぎらず、人が書いた文章を読んでいて、魅力を感じるのはやっぱりその人の人間性や人間味が出ている文章ですよね。巧い下手じゃないんです。技巧は二の次だと思います。いくら稚拙でも、その人がちゃんと表現されている文章に、ぼくたちは魅力を感じるんじゃないでしょうか。

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