小説家片山恭一の文章の書き方

10 言葉は二人を味わうためのツールである

 そうは言っても、言葉って大変ですよね。歌を贈るといっても、そう気軽に詠めるもんじゃない。やはりそれなりの修練は必要です。小説にしてもそうです。でも、ここはあまり難しく考えないようにしましょう。

 たとえば亡くなったお父さんやお母さんや友だちや猫の写真に向かって、「今日も暑いね」などと話しかけることってあるでしょう? この場合の「今日も暑いね」は、やっぱり二人(あるいは一人と一匹)で味わわれているのだと思います。間違いなくそうです。しかも易々と生死を超えて。

 こういうことをぼくたちは無意識に、かなり日常的にやっていると思うんです。言葉ってすごいと思いません? そういうすごいものを、ぼくたち誰もがもっている。貧乏人も金持ちも関係ない。健康な人も病気の人も。老若男女を問わない。繰り返しますがタダです。いくらスマホがすごいといってもタダではありません。そんなことよりなにより、スマホは亡くなった人と一緒に使うことはできません。二人で味わうといった類の道具ではありません。

 ぼくたちは亡くなった人も含めて、二人で味わうための、いや、二人を味わうためのツールとして言葉をもっています。人が人であることのデフォルトとして等しく供与されている。誰がいくら使っても利用料金は発生しない。すごいことです。iPhoneどころの騒ぎじゃない。こんなものすごいデバイスを、誰もが生まれながらにもっている、ってことにみんなもっと驚きましょう。そのことに人類が気づけば世界は変わると、ぼくは本気で思っています。

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