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格差社会をうみだした仕組をかんがえてみた

前回の前半ではわかりやすく、預けられたお金をもとにお金がふえていくしくみを説明し、後半では貸し出すたびにどんどんお金が増える信用創造といううらやましい特権のはなしをしました。

でも、じっさいは借りるだけでお金がふえ、もとのお金があろうがなかろうが、貨幣をつくるということができるんです。

うーん、おもしろい。

どういうことなのかを前回の例をもとに説明すると、うさぎ銀行は、いきなりBさんに1,000万円でも2,000万でも貸し出すことができるんです。Bさんの通帳に1,000万円とか2,000万円とか記入するだけです。

Aさんのあずけたお金なんかなくても、いきなり1,000万円とか2,000万円とかの貯金通貨が創造されるというわけです。すごいな~。(現実には無限にお金をつくりだせるわけではなく「法定準備率」によって制約をうけます。)

「銀行員は僕らが苦労して働いて生んだお金を又貸しして、利ザヤをふところに入れて、いい暮らしをしている」というわけではないのです。もっとすごいんです。なにせ貸せばふえるわけですから。ぼくもちゃんと知るまではかんちがいしていました。

こんなシステムが始まったのは、1930年代ごろ、金本位制から管理通貨制度へ変わったことにより信用創造がはじまりました。

まだこのシステムになって100年たってないわけです。まるでずーっと昔からあるがごとくぼくらは感じ、常識ができあがっているのです。

とまあ、お金の研究をしてみたのですが、ぼくが一番知りたかったのは、なぜいまのような、空前の格差社会が生まれたのかを理解して、これからの世の中はどう進んだらいいのだろうか?を考えたいと思ったわけです。

格差社会をうみだした要因のおおきなひとつは、中央銀行と民間銀行がつくりだした信用創造のお金が、いまでは実体経済ではなく金融経済につかわれているからではないか?とかんがえるにいたりました。

なぜかというと、先進国では生産設備への投資が少なくなっているので、企業が銀行からお金を借りることが少なくなり信用創造がおこりにくなりました。(小さな会社は信用がないのであんまり信用創造もおきません)

それに、いまの日本では企業は巨額な貯金をかかえていて、銀行からお金を借りる必要がそれほどないですよね。ということは、信用創造というお金がつくれないので経済が停滞してしまいます。

その結果、そのあまったお金はもうかりそうな株式や債権、土地のとりひきに、じゃぶじゃぶそそぎ込まれ、金融経済が活性化しています。つまり、そのまわりの人や組織に集中するだけになるわけです。広く浅くばらまくためにつくった信用創造というシステムがいまではこんなことになっているんだと思います。

そのまわりの人や組織というのは、お金をもともと持っている、信用できる人びとなので、もっともっと、もうけるという一極集中がおきている。そんなことだと思います。

さて、この先デジタル通貨に移行する世の中において、銀行の信用創造という特権は必要なのでしょうか?国民は貧しくとも、お金の回るところはこのまま大きく育てば良いのか?

あたらしい富の配分をつくりだすシステムを考える必要があると思うのです。一国民として、このくらいは言ってもいいですよね。

今日のまとめ

いまではお金持ちのために信用創造は使われ、空前の格差社会になっている。

あたらしい富の配分をつくりだすためには、クリック数を増やすために天才が使われるのではなく、世の中を変えるために頭を使かわなくてはいけない。

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