小説家片山恭一の文章の書き方

4 どうしても書きはじめられない人のために

 いるんです、こういう人がかならず。ぼくは近くの大学で非常勤講師をしています。「文芸創作」という授業を受け持っている。文芸にして創作ですから、一応文学の話をして、実際に小説も書いてもらいます。

 そんなに大層なものを期待しているわけじゃないんです。分量も問わない。1枚でも100枚でもいい。学生諸君には「何か書けば単位は出すよ」と言ってある。にもかかわらず、書けない。9月からはじまっている後期の授業が10月、11月と進み、枯葉は散り討ち入りやジョン・レノンの命日が近づいても、なお書けない。書き出すことができない。

 なぜか? 書きはじめないからです。小説にかぎらず、文章というのは最初の一行を書き出さないかぎり、永遠にはじまりません。とにかくなんでもいいから書けばいいのです。気に入らなければ直せばいい。それが「書く」ということでしょう? 喋った言葉はその場で消えてしまうけれど、書いたものは残るわけだから、あとから読み返して、どんどん直していけばいい。

 「朝起きると雨が降っていた。」これでもいいんです。立派な書き出しです。「ぼくはしばらく布団のなかでぐずぐずしていた。」おお、いい感じだ。「すると猫がやって来て、頬に鼻を擦り付けた。」なるほど。それで猫の名前は? 歳は? オス、メス? という具合に言葉は膨らんでいきます。最初の一行からつぎの一行にバトンタッチしていくわけです。しかも気に入らなければ、何度でもやり直してもいい。こんな寛大なルールってありませんよ。

 それなのに、最初が書けない。なぜ書けないのかたずねると、「構想がきまらなくて」とか言ってくる。バカ者! 構想なんてどうでもいいんだ。どうでもよくはないけど、そんなものは書きながら練ればいいんだ。「でも、最初がどうも……」この野郎! 殴っちゃろか。

 お~し、わかった。じゃあなあ、最初の一行は文豪に書いてもらおうじゃないか。そんじょそこらの文豪じゃないぞ。フランスはパリの地に生まれ没したマルセル・プルーストさんだ。「長いこと私は早めに寝むことにしていた。」どや? このつづきを書いてみては。「長いこと私は早めに寝むことにしていた。しかし昨夜はつい夜更かしをしてしまった。そしたらおかしなものが部屋に現れた。」っておれが書いてどうする。

 でも、どうです? なんか小説らしくなっていくでしょう。小説って、そういうものなんです。気楽に考えましょう。「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」なんてふざけた書き出しで、傑作を書いてしまった作家もいるわけですから。

 何をどう書いてもいいのが小説です。何をどう書いたところで誰も文句は言わない。みんなそんなに暇じゃないですからね。ではまた。

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