ぼくは一年中、旅行で家を留守にするときなどを除いて、ほぼ毎日なにかしら文章を書いています。日曜祭日も関係なく、だいたい午前中は何か書いているという感じです。
本業は小説ということになっていますが、小説ばかり書いているわけではなく、とくに最近は小説以外のものを書いていることのほうが多いようです。注文を受けて書くこともありますが、ブログなどに自分が書きたいものを書くことも習慣になっています。この文章にしても、原稿料をもらって書いているわけではありません。基本的には書きたいから書いています。
こんなふうに書くことが生活の中心になって、もう四十年くらいになると思います。ぼくはいま六十二歳ですから、学生のころからずっとやっているわけですね。最初は講義の課題として提出するレポートや論文などです。そのころは学者先生になろうと思っていたので、わりと一生懸命に書いていました。なんとなく自分に向いていると感じたのでしょうね。
大学院に進んで修士課程、博士課程、オーバードクターと三十歳くらいまでずるずると大学にいました。そのまま就職もせずに、いつのまにか「小説家」みたいなものになってしまい、いまだにこんなことをつづけているわけです。
どうしてこんなことになってしまったのか。運や偶然もありますが、やっぱり書くことが好きだったからだろうと思います。好きだから四十年も五十年もやっているのです。本当に好きでないものは、そんなに長つづきしないのではないでしょうか。
たんに「好き」というよりは、やめられなかったと言ったほうがいいかもしれません。やめようと思っても、やめることができなかったんですね、大袈裟に言うと。ぼくにとって書くことは生きることそのものだった。書くのをやめることは、生きるのをやめることだ、とまでは言わないけれど、まあそれに近い感じではあったと思います。
書くことと同時に読むこともつづけてきました。大学生のときに「一年間に百冊は本を読もう」ときめて、これはいまだに守りつづけています。だから五千冊くらいは読んだことになるのかなあ。まあ、なんの自慢にもなりませんが、とにかくぼくにとって書くことと読むこと、それに考えることは三位一体のものとして、ずっと生活の中心にありつづけています。
そしていまだに飽きません。他にやりたいことを思いつかないので、たぶん死ぬまでこういう感じじゃないでしょうか。ぼくは音楽を聴くことも、映画を観ることも、旅行することも、おいしいものを食べることも、お酒を飲むことも好きですが、そういう「好き」とは少し違って、書くことは「自分だけのもの」という感じがします。
もちろん見たり聴いたり味わったりすることも自分の体験ですが、書くことはそれをもう少し掘り下げるといいますか、言葉を媒介にして味わい直すといった面があるように思います。だから書くことは、ものすごく贅沢な体験なんですね。一度きりの人生が、二回でも三回でも繰り返し味わえるわけですから。