片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

時間と構成

 これまで話したことをまとめてみよう。まず時制の話をしたよね。現在にいる語り手が過去を語っていくのか、いま起こっていることを現在進行形で書いていくのか。それによっていろんな語りのスタイルが生まれる。つぎに二つの時間の話をした。物語の時間(小説のなかで流れているとされる時間)と叙述の時間(叙述に費やされる時間)だ。この二つの時間を操作することによって、いろんな印象を作り出すことができる。


 もう少し具体的に見てみよう。作品としてサン=テグジュペリの『夜間飛行』を取り上げる。南米各地から飛行機で郵便物をブエノスアイレスに運んでいるパイロットたちの話だ。ブエノスアイレスに集めた郵便物を、まとめてヨーロッパへ送るわけだ。実際にサン=テグジュペリは若いころ郵便機のパイロットだったらしい。その体験が織り込まれているんだね。


 語りのスタイルとしては過去の回想ではなくて現在進行形、ほとんど実況中継みたいな感じだ。ただ小説だから、物語の時間と叙述の時間は不均質だ。それによっていわゆる「山場」をつくり出しているわけだな。一般的に山場では叙述に費やされる時間(この場合は文字数やページ数と考えてもらっていい)は長くなる(あるいは多くなる)。一年の出来事を「そして一年が過ぎた」と書いたのでは山場にならないよね。30分の出来事を何ページにもわたって書けば、そこは小説のなかの一つの山場になる。


 そういうことを『夜間飛行』のなかでサン=テグジュペリはとてもうまくやっていると思うんだ。最初に作品の構成を見ておこう。全体が23章からなっている。

1章 上空。ファビアンはパタゴニア便のパイロット。マゼラン海峡からブエノスアイレスは戻ろうとしている。2500キロの航路。夕方から夜。

2章 地上。ブエノスアイレス。リヴィエールは全路線に責任を負う立場にある。三機の飛行機が無事に到着するのを待っている。

3章 地上。チリ便が到着する。夜。ペルランはチリ便のパイロット。ブエノスアイレス市内へ向かう車のなか。ペルラン、リヴィエール。ペルランによる回想。突発的な暴風と闘ったこと。

4章 地上。車中。ペルラン、リヴィエール、ロビーノの三人。ロビーノの仕事はリヴィエールの元で働く監督官である。報告書を作成しパイロットを査定する。リヴィエールは会社の事務所に立ち寄る。ペルランとロビーノが車に残る。

5章 ホテルに帰りついたロビーノ。沈んでいる。パイロットたちを査定する自分の仕事のこと。ペルランと友だちになりたいと思っている。

6章 ブエノスアイレスの事務所。リヴィエール。夜。電話でロビーノを呼び出す。ペルランと親しくなることに釘を刺す。パイロットを客観的に評価できなくなるから。リヴィエール、ロビーノにペルランを処罰することを命ずる。理不尽な命令である。そのとき無線が入る。「エンジン回転不調、着陸する。」

7章 上空。一時間後。パタゴニア便。ファビアンと無線通信士。機体が乱気流に持ち上がる。稲妻が走る。

8章 地上。リヴィエール。夜11時。二機の郵便機がまだ飛行中。

9章 社長室。リヴィエールの孤独。50歳になる彼は、「罰すれば事故は減る」と考えている。夜間飛行は常に死と隣り合わせの危険を伴う。彼はいま古参の整備士(ロブレ)を解任しようとしている。どんな小さな過ちや悪も憎んでいる。それを許すことができない。「つくづく疲れた」という独白。電話が鳴る。欧州便の離陸準備が整ったこと。ロブレの配線不良で出発が遅れたのだ。

10章 欧州便のパイロット。妻は事務所からの電話で起こされる。リヴィエールからの伝言を受け取る。夫は眠っている。夜中の0時に目を覚ます。夫を見送る妻。

11章 事務所。リヴィエール、欧州便のパイロットにプレッシャーをかける。リヴィエールのモノローグ。恐怖心を取り除いてやるために厳しいことを言った。彼は自分の力によって事故を防げると考えている。

12章 上空。パタゴニア便。暴風雨に接近しつつある。午前0時。ファビアンと無線通信士の行き詰る会話。嵐に包囲されてしまったファビアン機。

13章 地上。パラグアイ便は順調。パタゴニア便は難航。パタゴニア便との交信不能。各都市から暴風雨にかんする情報が入ってくる。ファビアン機が危険な状態にあることが明らかになっていく。リヴィエール、パタゴニア便の救助を手配中。午前1時10分。

14章 ファビアンの妻、事務所に電話を入れる。午前1時15分。夫の飛行機の到着が遅れていること。悪天候のこと。二時間で到着するはずの中継地に、六時間経ったいまも着いていない。妻、社長(リヴィエール)に直接事情を聞きたいと訴える。リヴィエール、相手を落ち着かせようとするが無理である。彼は自問する。パタゴニア便の二人の命が奪われようとしている。自分が彼らを死に追いやろうとしている。なんのために? 個人の生命を超えて存在する何か。愛するという責務よりさらに重い責務があるという漠然とした感覚。永遠性への憧れ?

15章 上空。ファビアンの奮闘。「月の光が大きな影を投げかける安らかで平和な大地が、きっとどこかにあるはずなのだ。」孤立無援の闘い。不時着しようとするが、そこは海だった。現在位置不明。照明弾も尽きた。乱気流が突き刺さってくる。操縦桿にしがみつく。嵐のなかに星の光が見える。罠かもしれない。だが、それをめざして昇っていく。

16章 ファビアン機、上昇をつづける。静謐な世界。生死のはざまの不思議な異界。なにもかもが光っている。美しい情景描写がつづく。冷たい宝石に囲まれて、かぎりなく富裕でありながら死を宣告された身として、彼らはさまよっていた。

17章 パタゴニア地方の中継飛行場。嵐は内陸全土を覆っている。燃料はあと半時間。ファビアン機にたいして死の判決が下される。

18章 地上。リヴィエール、黙想に沈んでいる。もはや希望はない。二人は夜のどこかに姿を消していく。

19章 リヴィエール、ロビーノ。どうすることもできない。ファビアンの妻がリヴィエールに面会を求める。二人は新婚六週間。

20章 中継飛行場。応答なし。一秒ごとに生存の希望が失われていく。午前1時40分。燃料は尽きた。もう飛んでいるはずはない。静けさが広がっていく。あとは夜明けを待つだけだ。リヴィエール。大惨事だけがもたらす弛緩を味わっていた。できることはもう何もない。

21章 ロビーノ。鬱々とオフィスをさまよっている。会社の生命活動は停止してしまっている。午前2時。リヴィエールの指示。欧州便を予定通り離陸させること。夜間飛行は中止されない。

22章 パラグアイ便が到着する。午前二時過ぎ。パラグアイ便のパイロットと欧州便のパイロット、短い言葉を交わす。ファビアンが行方不明であること。

23章 事務室。腕組みをしたリヴィエール。一度でも出発を見合わせていたら、夜間飛行をつづける根拠は失われていたに違いない。

 物語は夕方からはじまる。パタゴニア便のファビアンが消息不明になり、絶望的な状況であることが判明して、最後の場面が午前2時ごろだから、だいたい10時間ほどの物語だ。  

 序盤(1~9章)は淡々と物語が進行していく。物語の時間としては8時間。全体の5分の4だ。でも叙述に費やされる時間は、光文社古典新訳文庫では130ページのうちの60ページほどに過ぎない。つまり半分にも満たないわけだな。  

 つづいて展開部(12~23章)。午前0時ごろ非常事態が発生し、以下、2時間ほどのドラマが展開する。この2時間に約60ページ、序盤と同じ分量が費やされている。つまり序盤にくらべると物語は4倍に凝縮されているわけだ。とくに悲劇が頂点にさしかかる(17~20章)ところは、時間の経過としては30分余り。この30分間の場面の切り替え、人々の心の動揺の描き方は見事だ。  

 そして終盤、絶望的な帰結が近づく。静かな焦燥、喪失感、深い虚脱の気配とともに物語は幕を閉じる。という具合に、みごとな構成になっている。

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