片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

出だしね。これが大切だ

 昔のことばかり書いていても、読んでいる人も面白くないだろうし、ぼくもちょっと飽きてきたので、ここらで実際に小説を書いてみよう。ちょうどある媒体に6月から小説を連載することになっていてね。だいたいの構想はできているんだけど、まだ書きはじめていない。いまはモチベーションを燃え上がらせている段階だ。


 小説を書きはじめるときには、「書きたくて、書きたくて、もう我慢できない!」というところまで内圧を高める必要がある。誰も必要としていないものを書くわけだからね。ぼくの小説がなくても誰も何も困らない。そんなものを「どうだ!」って感じで世の中に投げ入れるわけだ。社会にたいする挑戦状みたいなもんだよ、大袈裟に言えば。ボクサーが試合をはじめるようなものかもしれないね。彼らだって「この野郎、殴り殺してやる!」というくらいの気持ちになってないと、とてもリングの上で闘えないと思うんだ。小説を書きはじめるのも似たようなもんだ。

小説を書きはじめたころの創作ノート

 やっぱり冒頭から書くわけだ。出だしね。これが大切だ。とりあえずここをうまくクリアしなくちゃね。書き出し。最初がビシッと決まらないことには、あとがつづかない。作品世界に入っていくのに気分が乗らない。また読者にとっても書き出しは大事だ。男女の出会いでも第一印象って重要だろう? スティーブ・ジョブズが製品を入れる箱のデザインに病的なくらいこだわったと言われるのも、最初の印象を大切にしたからだと思う。小説の冒頭は作品を読んでくれる人への挨拶みたいなもので、「わたしはこんなものです」って知らしめるわけだから、ここはしっかり気合を入れて書きたいところだ。それでねえ、ぼくもいまいろいろ試行錯誤しているわけなんだ。
 少し理屈っぽい話をしてもいいかな? 小説の書き出しは、作品全体にとってどんな意味をもつんだろう。あるいは読者にどんな情報を提供しているんだろう。いくつか具体例を挙げて考えてみよう。

長いこと私は早めに寝むことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふさがり、「眠るんだ」と思う間もないことがあった。ところが三十分もすると、眠らなくてはという想いに、はっと目が覚める。いまだ手にしているつもりの本は下におき、灯りを吹き消そうとする。じつは眠っているあいだも、さきに読んだことをたえず想いめぐらしていたようで、それがいささか特殊な形をとったらしい。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の有名な冒頭だ。吉川一義さんの訳を使わせてもらった。この作品では「私」という一人称が使われているね。これが語り手だ。同時に物語の主人公でもある。主人公が「私」という一人称で物語を語っていくわけだ。だから作品世界は主人公の視点で展開されていくことになる。ここは大事な点だ。


 それともう一つ、作者(プルースト)と語り手が非常に近いことに気づくだろう。ほとんど重なり合っていて、作者が自分のことを語っているんじゃないかと思えるくらいだ。つまり自伝的な要素が強い作品であると推測できるわけだな。あと繊細な文体から、作品全体の雰囲気をある程度推測することもできる。たった数行の文章が、いろんなことを読者に提示しているんだ


 写真は小説を書きはじめたころの創作ノート。トレーニングだと思って、毎日時間をきめて書いていた。よくこんなものを取っといたと思うけど、いま奥さんから「少し物を減らしなさい」とうるさく言われているので、そのうち処分するかもしれない。

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