片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

毎月一篇ずつ百枚程度の小説を書く

 結婚して子どもが生まれて、その子どもがしょっちゅう病気をして、という具合に自分の生活がわりと大きく動いている時期だったので、そういうのを題材にして小説を書いていたなあ。夫婦間のちょっとした齟齬とかね。なかなか隠微なテーマだよ、25、6の若造にしては。古井由吉の『杳子』とか『妻隠』とか『男たちの円居』とか、初期の作品の影響を強く受けたものだ。意識的に文体を真似ようとしていたんだ。あとブランショの影響なんかも大きい。『アミナダブ』とか、あちこちの文章を盗んでいるよ。ほとんど剽窃(ひょうせつ)に近い。メルロ=ポンティの文章からも、わりと大きな影響を受けたんじゃないかと思う。修士論文に使ったこともあって、一時期よく読んでいたからね。彼の文体は好きだったなあ。


 毎月一篇ずつ百枚程度の小説を書くことをノルマにしていた時期もある。トレーニングのつもりで、一年くらいはつづけたんじゃないかな。小説の書き方などを教えてくれる人は、まわりに誰もいなかったからね。とりあえずたくさん書くことで基礎的な体力をつけようとしたんだ。根が真面目なんだよ。そうやって量産しているうちに、やっぱり誰かに読んでもらいたくなる。自分の書いたものがどの程度の水準なのか、第三者の評価が聞きたくなってくる。


 知り合いに読んでもらうのは、なんとなく恥ずかしかった。この「恥ずかしい」という感じは、いまでも完全に拭い切れているとは言えない。だから自分の書いたものにたいする評価はどうしても低くなる。いまの若い人たちは、インターネットの投稿サイトなどに自分の書いたものをどんどん発表しているだろう。こういう感覚は自由でいいなと思うよ。小説を書くことや、書いたものを発信することが日常的っていうか、特別なことではなくなっているんだね。


 ぼくの場合は、とりあえず文芸誌の新人賞に応募してみることにした。こういう賞は、選考の段階では匿名性が高いので気が楽だったんだね。そんなことをやっているうちに、一つの作品が最終選考まで残ってしまってねえ、これには自分でも驚いた。まったく思ってもみないことだったんだ。ひょっとして、おれって才能があるんじゃないか? なんだか味をしめてしまって、この調子で頑張れば小説家の端くれくらいにはなれるのではないか。それから一年くらいで『文学界』という雑誌の新人賞をもらった。27歳くらいのときだったかな。この時点で、本気で小説家としてやっていきたいと思うようになった。もちろん小説で喰えるとは思ってなかったけどね。予備校か塾の先生でもしながら、サイドビジネス的に小説を書いていければいいと考えていたんだ。

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