片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

『三丁目の夕日』の茶川竜之介みたいなものだった

 いまはなんとなく「作家」とか「小説家」とかいう看板を出してやっている。これは世間がそんなふうに認知してくれているということで、じつにありがたいことだ。ただ小説を書いているだけでは「小説家」とはみなされない。ぼくの場合は、27歳で文芸誌の新人賞をもらったあと、最初の単行本が出るまでに10年近くかかっている。その間はずっと、『三丁目の夕日』の茶川竜之介みたいなものだった。彼は映画のなかでバカにされているだろう? ぼくも同じさ。昼間から家でごろごろしている怪しい人間、少なくとも世間の人たちから見ればね。


 大学院に籍を置いているうちはまだよかった。一応「学生」という身分が保証されているわけだからね。ところがオーバー・ドクターも終わると、あとは研究生ってことになる。これは待遇が悪いし学費も高い。大学にいる意味がないので辞めることにした。なんとぼくは大学に12年もいたんだよ。アカデミックな勉強は全然しなくて、小説を書いたりアホな個人誌を作ったりしていた。好き放題やったおかげで、「学生」の身分を失うとただの無職だ。肩身が狭かったなあ。


 うちは男の子が二人で、下の子が保育園のとき、父の日におとうさんの絵をプレゼントしてくれた。ぼくがフライパンを持ってお料理をしている絵だ。家のなかでもそんなふうに見られていたわけだ。上の子は小学生のときに父親の職業を「ワープロをする人」と言っていたらしい。息子の友だちは親に「片山君のお父さんはいささか先生だよ」って、『サザエさん』の「伊佐坂難物」だよ。面白いことを言うもんだって、笑いごとじゃない。そのころは公団のマンションに住んでいて、午前中に洗濯物を干したりしていると、「あの人、何をやっているんだろう」という住人の目を感じたな。


 そのあともいろいろあって、いまは幸いなことに「小説家」ということになっている。具体的にどういうことをしているかというと、毎日きまった時間、机に向かって小説を書くわけだ。一つの作品に取りかかると、これはもうマラソンみたいなもので、1キロごとのラップを着実に刻んでという世界だ。書きたいとき、書けるときだけ書くというのでは、なかなか長いものは書けない。気分が乗らなくても、文章が出てこなくても、とにかくパソコンの前に坐って言葉をひねり出す努力をする。そうやって毎日のノルマをこなすようにしている。


 目標はだいたい原稿用紙に3枚くらい。パソコンの画面表示もそんなふうに設定していて、1ページが原稿用紙で3枚分だ。調子のいい日にはもう少し書くこともあるけれど、苦労せずにすらすら書けた文章は、あとから読み返したときに使えないものが多いみたいだね。文章が甘くなっているというか、どこか浮ついているんだね。とにかくぼくの場合は、毎日コンスタントに3枚くらいがいいみたいだ。そのくらい書いたら、あとは別の仕事をするようにしている。


 一日3枚でも、一ヵ月では100枚ほどになる。これを一年間つづけると、毎年千枚以上の長編小説が書ける計算だが、そううまくはいかない。構想や下準備の時間も必要だし、直したり、削除したり、途中で編集者の意見を聞いてまた直したり……といった作業を延々と繰り返すので、四、五百枚の小説を年に一つ書くのがやっとという感じだ。とにかく毎日、少しずつやることが大切だ。土曜日曜も休まないのが望ましい。プロのピアニストでも、何日かピアノに触らないと調子が狂うっていうだろう。それと同じで、小説家にとっても毎日書くことがトレーニングなんだ。

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