片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

戦争体験のような特別な体験がないと、小説は書けないのか

 ぼくが小説を書きはじめたのは大学生になってからだ。実家の近所に高校のときの世界史の先生が住んでいてね、大学一年生の夏休みに帰省したとき散歩中の先生とお会いした。「遊びに来ないか」と言ってくれたんで、暇だからさっそく行ってみた。そこではじめて本格的な「書斎」というものを目にした。たたずまいに心を打たれたね。「自分にもこんな部屋があればいいな」って。そのころぼくは福岡市の九州大学六本松キャンパスに近い3畳半のアパートに住んでいて、粗末なカラーボックスのなかの本は少しずつ増えつつあった。親からの仕送りが一ヵ月5万円で、そのうち5000円ほどを本代に充てていたと思う。もっとたくさん本を買いたいと思ったな。


 とにかく、その世界史の先生になついてしまって、しょっちゅう家に遊びに行くようになった。先生も奥さんも迷惑がらずに生意気な若造をもてなしてくれた。漱石の『心』の先生みたいな感じだね。「片山、酒飲むんだろう?」と言ってビールを出してくれたり。そういうくだけた人だったんだ。ぼくは先生から本を借りて、夏休みのあいだずっと読んでいた。先生が貸してくれる本のなかには、第一次戦後派と呼ばれる人たちのものが多かった。埴谷雄高とか野間宏とか椎名麟三とか、少し下の世代だけれど堀田善衛とかね。武田泰淳は入っていなかったと思う。彼はぼくが自分で見つけて好きになった作家だ。あとは戦後派の後継者と言っていい、大江健三郎とか高橋和巳とか小田実といった人たちだな。夏休みが終わって福岡に戻ると、彼らの本を少しずつ集めるようになった。

 文学が、小説が身近になってきた。身近になると自分でも書きたいと思うようになる。でも最初に出会ったのが戦後派だろう? 彼らは自分の戦争体験を題材にして小説を書いていたんだ。野間宏も椎名麟三も武田泰淳も堀田善衛も大岡昇平も、みんなそうだ。そういうのが小説と思ってしまったんだね。戦争体験のような特別な体験がないと、小説は書けないのではないか。もちろんぼくにはそんな体験はなかった。ごく普通の公務員の息子で、両親にかわいがられ、戦後民主主義の社会でこれという困難も体験せずに生きてきた甘ちゃんだった。そんなやつに小説が書けるだろうか?(写真は大学一年生の秋に買った小説。埴谷雄高の『死霊』もどこかにあるはずなんだけど、見つからない。野間宏の『青年の環』全4巻は世界史の先生に借りて読んだ。杉浦民平の『渡辺崋山』も借りて読んだよ。先生は大長編小説がお好きだったのかなあ。)

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