片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

何十年も読みつづけられている作家の真似をしたほうがいい

 では、実際にどうやって小説を書いていくんだろう。ぼくたちのなかでは「小説ってのはこんなふうなものだ」というイメージが出来上がっていると思うんだ。もちろん人によって違うけれど、その違いはジャンルの違いだったり好みの違いだったりする。たとえば推理小説が好きという人もいれば、歴史小説やSFが好きって人もいる。あるいは私小説的なものが好きとか、やっぱり恋愛小説を書きたいとかね。


 もう少し具体的に言えば、村上春樹が好きとか伊坂幸太郎とか恩田陸とか三浦しおんとか……いまぼくが教えている大学の学生さんたちに、どんなものを読んでいるのかたずねると、いわゆるライトノベルみたいなものが多い気がする。その書き手はほとんどぼくの知らない人たちで、だから具体的に名前をあげるわけにはいかないんだけど、とりあえず、そういう自分の好きな作家の真似をして書くってことになるんじゃないかなあ。それがいちばん手っ取り早いだろう。


 こんなことが可能なのは、すでにぼくたちの前に膨大な数の小説があるからだ。外国の書き手も含めて、ほとんど何でもありって感じだよね。たとえば音楽の場合を考えてみよう。いまの若いミュージシャンのなかには、思いっきり古いブルースのことを驚くほどよく知っている人たちがいて、自分たちもそれを継承してやっている人たちがいる。あるいはカントリーとかブルーグラスとか、サルサみたいなラテン系の音楽とか。ぼくが学生だったころにはなかなかレコードが手に入らなかった類の音楽が、いまはCDやネット配信などで簡単に聴くことができる。そのなかから自分の好きなものを見つけて、自分なりのスタイルでやっているんだろうね。だから聴いていて、「この人たち、いったい何歳なんだ?」と思うことがよくあるよ。


 小説もこれと状況が似ているんじゃないかな。真似しようと思えば、お手本はいくらでもある。ただ音楽ほど簡単にはいかないかもね。ジョイスやベケットやブランショの真似をするのは難しいし、ただ文体を真似ればいいってもんじゃないからね。苦労して書いても、退屈で誰も読んでくれない可能性もある。だからまあ、無理のないところで真似をするのがいいだろうね。どうせ真似をするんだったら、できるだけ良質な作家の真似をしたほうがいいと思う。良質な作家というのもおかしいけど、長持ちしている作家というか。

 小説を書くことを、これから長くつづけようと思えば、最初に真似する作家は大事かもしれないね。ぼくの意見を言わせてもらえば、やっぱり長く読みつづけられている作家を選ぶべきなんじゃないかな。ライトノベルもいいけれど、一つひとつの作品はすぐに飽きられるものがほとんどだと思うんだ。半年か一年くらいしかもたない。それだけ中身が薄いってことじゃないかな。せっかく真似をするなら、すでに何十年も読みつづけられている作家のほうが間違いないよ。この先も長く残っていきそうな作家とかね。もちろん現代の作家ということになるんだろうけど。誰の影響を受けるかってことは、案外大事じゃないかと思うなあ。

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