片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

どうやってお金を稼ぐか

 大学院に進んで、いよいよ研究者に向かって足を踏み出そうとしたんだけど、そこで困った問題に直面した。教官や先輩の大学院生たちがやっていることに、まったく興味がもてなかったんだ。農業問題とか言われても、農業をやったことのないぼくとなんの関係がある? 農業の問題は農業をやっている人たちが考えればいいじゃないか。自分と関係のないことが研究課題になるとは思えなかった。


 自分にとって切実なこと、考えずにはいられないことしか、考えることができない。それ以外の仕方で「考える」ということが理解できなかったし、いまでも理解できない。なんにでもコメントする人っているじゃない。もっともらしいことを言ってさ。いったい誰に届くと思っているんだろう。ああいうのがいちばん理解できない。「あなたといったいどういう関係があるのですか」って言いたくなるよ。


 でもまあ、そういう料簡では研究者になれないってことに、大学院に入ってからようやく気づいた。前から薄々は気づいていたんだけど、なんとかなるだろうと高を括っていたんだ。ところが現実に、どうにもならないことがわかってきた。アカデミズムの枠内で研究テーマを見つけて、教官たちと折り合いをつけてやっていくか。それとも進路を修正するか。二つに一つだ。ぼくと一緒に大学院に進んだ友だちは、二人とも公務員試験を受けて、修士課程を修了すると公務員になった。賢明だよ。ぼくの場合は、どちらとも決めかねたまま、ずるずると博士課程に進んでしまった。こうなると潰しがきかない。選択肢は非常に限られてくる。つまりどっかの先生になるしかないわけだ。


 一応、修士論文は書いたけど、これがまたエンゲルスの自然弁証法をフッサールやメルロ=ポンティの現象学の方法を使って批判するというものでね、教官たちからすると、毎度のことながら何をやっているんだって感じさ。ぼくが所属していた農政経済学というアカデミズムの枠組みからは、もはや軌道修正もできないくらい外れまくっていたね。でも当時の大学はまだのんびりしていて、そんなことをやっていても大学や研究室を追い出されることはなかった。多分に変わり者とは思われていたんだろうけど。先生たちもさじを投げて、もう「勝手にしろ」って感じだった。そのかわり就職の世話はしないって、面と向かって言われたこともあるよ。こっちも「上等だ」って開き直ってね。奥さんに喰わせてもらっているというのに。とにかくどうやってお金を稼ぐかってことが、ずっと悩みの種だった。

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