片山恭一の小説家になるまでと小説の書き方

小説家になるつもりなんてなかった

 学生のころは小説家になるつもりなんてなかったし、いつのまにかこんなことになっていたって感じだなあ。大学に入るまでは、ほとんど教科書は本を読んだことがなかった。文学にとくに興味があったわけでもないしね。高校は理系のクラスで、大学も農学部だった。当初は研究者として大学に残って、植物学の研究でもしながらのんびり暮らしたいと思っていた。浮世離れした学研生活を送るというのが、若いころの漠然とした将来像だったんだ。


 大学の教養課程で文学や哲学、経済学などの講義を聴くうちに、少しずつ本を読むことや書くことへの興味がわいてきた。しかしあいかわらず小説というのは頭になかったなあ。どちらかというと学術論文のようなものを書きたいと思っていた。そこで教養課程を終えると、農業経済学科というところに進んで経済学などの本を読むようになった。そのころには将来は研究者になろうという意思が固まっていたので、かなり自覚的に勉強していたと思う。つまり自分の専門にかんしては積極的に取り組むけれど、そうでない教科は単位をもらえる程度にしかやらないという感じだ。


 卒業論文はたくさん本を読んで、とても長いものを書いた。タイトルは『疎外論の研究』というものでね、マルクスを題材に「人間とは何か」みたいなことを大上段に考えようとしたものだ。卒論発表会では、完全に一人だけ浮きまくっていたね。無理もないよ。他の学生たちの卒論は「佐賀県における稲作農家の現状」みたいなものばかりだからね。マルクスの『経哲草稿』とかヘーゲルの『精神現象学』とかいっても、おまえいったい何をやっているんだって感じだった。論文の中身も、ただ長いだけが取りえという代物でね。いま考えると恥ずかしいけど、まあ文章を書くことのトレーニングにはなったかな。


 大学に残って研究者になりたいと思ったのは、一人でこつこつやれる仕事のほうが、なんとなく自分には向いている気がしたからだ。だから小説家というのは理想的な職業だけれど、自分には無理だと思って最初から視野に入れていなかった。だって大学に入るまで、文学のことなんか何も知らない理系バカだったんだから。ボールもバットも握ったことのない青年が、いきなりプロ野球選手を目指すようなものじゃないか。小説家なんてものは、子どものころから本が好きで、中学生のころには創作の真似事みたいなことをしていた、というタイプの人がなるものだと思っていた。実際はそういうものでもないみたいだけどね。

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