ヒガシユウジのまるごとデザイン

地方都市のしごとをクリエイティブする

ぼくらはいろんなイメージで場所や人を見ています。
たとえば、東京をどうイメージするかによって仕事のポジションがかわります。

ブルーベリーやいちごとともに、白くてあまい生クリームがたっぷりとのった、ポップなパンケーキのようなイメージなのか、
それとも、コーヒーを圧縮した渋くて苦いエスプレッソのようにイメージするのかによって展開が違います。

その例えで言えば、地方都市はどうだろう?

ぼくにはどこでも飲める普通に美味しいコーヒーのように感じます。大きな特徴はないけれど安定したおいしいコーヒー。

そこでの仕事の展開を例えると、普通に美味しいコーヒーをいろんな人に毎日楽しんでもらうイメージなんですが、これは仕事としては結構むずかしい。参入は簡単だけど、稼ぐというのはまた別の話。住んでる人の日常に入り込まなくてはずーっとコーヒーを飲んでくれないからです。

普通はふつう。ではない。

その普通のコーヒーを供給するためには豆のローストから淹れ方まで緻密に研究し習得し仕入れ値をうまくコントロールしなければいけないに違いありません。

他よりすこしでも有利にビジネスを進めようとすると、おいしいコーヒーで価格を下げて、たくさん消費して供給量を上げるか、とびっきり美味しいコーヒーで価格を上げても一定量のお客さんが訪れる店をつくるのかを考えなければ、きっと普通の普通になって必要性がなくなります。単価の安い、働けど儲けない地獄にはまるわけです。コモディティ地獄。

と、まあ、思いつくままにかんがえてみましたが、そう、消費する市場がそれに見合った力を持っていなかったとしたらどんなに美味しいコーヒーを提供したとしても、美味しいとわからなければ全て無駄になります。

とりわけ、「とびっきり美味しいコーヒー」といっても、たんに店主の自己満足になってしまう可能性が大。繰り返しますが無駄になるわけです。

「そんなことわかってるさ」って言うかもしれませんが、コーヒーを売る人はついつい美味しいコーヒーを生み出す技術と、それを提供するにふさわしい場所に執着してしまいます。

結果、「新しい普通」がそこにあるかもしれないのに見えてこない場合だってあります。

時代とともに普通もどんどん変わっています。

「新しい普通」ってなんだろう

古い普通って、もうすでにいっぱい溢れていて変わらない毎日をつくりだしています。実はみんな普通が大好きだし、生活レベルでは変わりたがらないのではないかと思います。

たとえば時代の半歩先をいくような人も、青春時代に出会った音楽を忘れられないし、事あるごとに聞いていたり歌っていたりします。新しいモノ・コトを勉強するように吸収しようとするよりも、強烈に心に刻まれた青春時代に出会った音楽にいつまでも心揺り動かされます。

そうやって、誰しもいつしか古くなります。

僕の住む地方都市では、東京の流行りや大企業の効率のいい普通が、コーヒーに注がれたミルクのようにちょっとづつ溶け込み、時代をつくりだしています。効率よく生きるにはその中で自分の役割を演じれば良いし、いままではそうして生きてきました。

でもねっておもうんです。ワクワクした未来をつくるのは自分次第だよねって。他人の価値観の中で生きるのがワクワクできないのならば、自ら「新しい普通」をつくるしかないのです。

クリエイティブってきっとこんな時に必要なのかもしれません。

たとえば、ある種の普通のコーヒーは伝染すると考えたられないか?キーワードは伝染するコーヒーです。
そうすると次に考えるのは、「伝染するにはウイルスが必要だ」とピンときます。
そのウイルスってなんだろう?
人にとって必要不可欠で根源的なもの、それこそがウイルス化するにちがいない。
「人は一人では生きていけない」そのためのツールがウイルスではないのか。
つまりコミュニケーション、会話こそがウイルスにちがいない。そう、仮定してみます。

仮定をもとに、
伝染するウイルスを持っているコーヒーショップは、コミュニケーションアプリなんだ!
なんて考えつきます。

このコミュニケーションアプリに参加することによって、ぼくやあなたや参加するみんなが得をしてその結果として、いろんな新しい普通(事業)が生まれる。

利用をするとクリプトコインが溜まって、そのコインを使ったDeFiみたいな仲介サービスが街の新しい普通のコーヒーなんてこともあるかもしれません。

もしかしたら福岡はそんな「新しい普通」をつくりだすには最適なのかもしれません。

ということで、普通を変える仕事がぼくらラボの仕事でありたいなと思っています。

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