デザインは伝えたことが正解ではなく、伝わったことが正解。
デザインは、と書いてますがコミュニケーションはと書き換えたほうが良いかもしれません。ぼくらをとりまく社会でコミュニケーションがどれほど必須の道具であるのかは言わずもがなのことです。
デザインという商売は、イコール広告でもあるのですが、どう伝えるかによって売れたりうれなかったりすることがあります。そうなんです、ぼくらデザイナーはというかぼくはと言って良いのですが、「どう伝えるか?」をずっと考えて広告をつくりだしているわけです。
でも、実は「どう、伝わったか?」が,もっと重要です。そこを知りたいのですが検証する術がありません。売れたか売れなかったはわかりますが、伝えることがちゃんと伝わったにもかかわらず売れなかったのか、伝わらなかったけどなぜか売れたのか、判断できないのです。
「とにかく勘と経験で売れたんだから、いいじゃん!」とか、オレはワタシは「今の時代を切り取る眼があるから売ることができますよ。」なんてのも再現性が低く、それこそ運や才能だよりではあっという間にクリエイターとしての役割を終えてしまいます。
なぜそれは売れたのか?なぜそれは人の心の琴線を揺さぶったのか?それを少なくとも50%ぐらいまで論理的に解析しておければ、そんなに失敗はしない。そう思っていたわけです。
そこに現れたのがwebです。そうです。いろいろデータが取れます。で、それがわかったマーケッターなんかが、クリエイターは自分の作品をつくりたがっているだけで、売れる広告なんかつくれないとか何とか言いだし始めるわけです。クリエイティブはデータがなければ自慰行為みたいなもんだと言うわけです。
確かに、勘と経験と体力ではわからなかったことが、もしくは隠していたビジネスのネタが色々とわかって来るわけですが、それが全て正しいわけではない場合もあります。
例えば、イメージ系はあんまり役に立たないような気がしています。「緑のボタンがよくクリックされる」みたいなデーターはどうなんだろう?と思っています。一つ一つの部品は全体のトンマナによっても変わります。最近マーケティング関連会社でも緑のボタン説は支持されていません。データをどう扱うかによって大きく結果が変わるのがイメージだと思います。なぜなら好き嫌いがあまりに多く入るからです。
一方、文章というのはロジックで組み立てられており、記す内容は各人のポジションによって大きく変わります。その結果、web上で文章だけで儲ける人と、一生懸命頑張っても儲けない人の違いがはっきりデータとして取り出せるようになりました。この場合、SEO対策の部分は考えません。
一生懸命頑張っても儲けない人の話は、
・小難しい
・中級者向け
・マニアックすぎる
・新しいネタすぎる
このあたりはほぼウケません。
どれだけ作者が「これは伝えたい!」と思っても、それが有意義な話であっても、内容が小難しいとダメです。
つまり、業界受けするような、プロに受けるような話は求められていないのです。
自分のモノサシで価値観を測ろうとすることもダメダメです。ポジションが自分中心だからです。
ひたすら顧客、読者が欲しがる情報価値を提供するしかありません。
『そんなもんがわかれば苦労はしないワイ!』とぼく自身も思っていましたが、でも意外と分かることがあります。
たとえば書店です。
書籍は書店に並んでいる時点で、「ニーズ」が十分に考えられています。お金と時間をかけて売れないものを作ったりしません。
売れそうだから書籍化されているわけです。ひな壇に並ぶ書籍はいま、多くの人が関心があるテーマだと思ってほぼ間違いありません。
これを利用しない手はありません。
今からのニーズは感情がつくりだします。モノから感情が生まれた今までとは違います。よく「顧客の困っていることを解決することが商品を売るコツだ」といわれますが、同じことです。
つまり相手のことがわからないと売れる商品もコミュニケーションも、つくり出すことはできないのです。あたりまえですがね。
そのためには、伝わることを想定したテーマをえらび、そこを起点として商品やコミュニケーションをつくり出す。わざと少し外しちょっと新しい感や、想定外の面白さを出すのもいいかもしれません。それを繰り返せば伝わるコツを覚えていくに違いないし、失敗してもデータがたまります。
なにが伝わったかを確かめながらコミュニケーションをとらないと、仕事も、表現も、事業も、こんなはずじゃなかったなんてことになりかねません。
ということで、今年は「伝わったことが正解」をテーマにいろいろと考え実行していきます。さっそく本屋に行ってみることにしますか。