なぜ、グラフィックデザイナーはwebデザインに興味がないのだろう?
webデザインをやってみたけど、できないので興味がないのか、そもそも興味なんてないのかもしれないけど、あんまりグラフィックデザイナーがWeb系デザイナーになりたいなんて聞かない。もしかしたらぼくが知らないだけかもしれないけどね。
どうしてこんなことを言うかと言うと、とてももったいないから。今のネット時代、webデザイナーがデザインを覚えるのに随分と時間がかかっている。それならグラフィックデザイナーがwebデザイナーもやってしまえばいいのにと思う。
というのもデザインの基礎は変わらないから。基礎を覚えるのにうまくいって1年、平均2~3年かかる。確かに、毎日時間に追われて過ごしているのに、これ以上スキルを身につけるのはしんどい。という気持ちはわかるけど、今のように時代の大きく変わるときにはそれがチャンスでもある。
紙メディアは徐々に少なくなっていく
グラフィックデザイナーの仕事は広告をつくる仕事なんだけれども、その広告が間違いなくデジタルに移行している。
何年か先、仕事自体がデジタル化し、AIが多くの部分をになうようになる。webを代表するデジタル世界で仕事や経済はつくられ、リアル世界で生活が営まれる。
グラフィックデザインの仕事はリアル世界のモノなので、広告の仕事は徐々に少なくなり、残った仕事はアートに限りなく近づく。
もしくは、人と人がつながるセールスの現場のデザインが最後まで生き残る。POP、パーケージ、ロゴマーク、全体を統括するブランドデザイン、それ以外のフライヤー、書籍、雑誌などは徐々にオワコンする可能性は高い。
ディスプレイの解像度とデバイスの軽量化が実現化すれば、水やエネルギーなどの資源を大量消費する紙メディアが縮小していくのは想像に難くない。もちろん嗜好としての書籍、雑誌は残る。先程言った、アートに近づくと言った意味はそれである。
未来と遊ぶデザインが生き残るには必要
僕はグラフィックデザイナーを専業でやったのは20年近くで、その後、少し嫌になってデジタルへと足を踏み入れていき25年近くwebの仕事も続けている。専業でグラフィックデザイナーをやっている時代はよく先輩から、「デザインは半分遊びだよ。また、遊ばなくっちゃ良いものもできない」とよく言われた。うまく遊んだデザインほど、商品が売れる。そのバランスを取りながら広告をつくっていた。今考えるとそれは少し先の未来を消費者が望んでいたからなんだと思う。
ぼくの話なんかどうでも良いんだけど、今のグラフィックデザインに遊びがなくなったように感じるのは、きっとグラフィックデザイン自体が少し先の未来をつくっている感がないからだと思う。モノを売るだけだったら今でも有効なので需要はあるけど、車が使われだした当時の馬車のようにグラフィックデザインが思えてならない。
紙の広告の良さってなんだろうって思う。もちろん消費者の立場としてだ。グラフィックデザイナーが紙を選ぶ大きな理由は、残る、印刷物として残るからだと思う。街の中に残るのは自分の存在証明になる。つまり、作品をつくりたいから。
消費者の立場に立つと、残るのは面倒だ。いらないフライヤー、商品カタログ、郵便受けの90%を占める役に立たない広告、それを始末するだけでうんざりする。資源だって山のように消費し、地球をすこしだけ疲弊させる。僕がグラフィックデザイナーだった時そんなこと微塵も思わなかった。
もう少し範囲を広げて、消費者にとっての紙メディアってなにが良いんだろうか?インクの匂い、ページを捲る感覚、解像度の高さ、簡単に携帯できる、全体像をつかみやすい、体験としての贅沢感などなど色々あるんだけど、その全ては自分にとっての必要なモノだけに限定される。
つまり、プレミアムな体験のため。それはアートとも言える。デザイナーがよく言う作品に間違いない。もう少し言うと、デザインをアートではないと言ってるのに、作品というのはなぜだろう?
とても大事なことは、広告の主導権は企業ではなく消費者に変わったということだ。なぜなら人々は自分の好きな情報を好きな時間に接する時代に完全に変わったからだ。つまり、4代媒体では情報をコントロールできない。それを現在、企業は把握している。
消費者に接するためには、消費者に合わせなくてはいけない。いま人は細切れの時間の中に生きている。そこにSNSやwebが入り込んで、その時間を奪い合っている。そして今以上にインターネットに接する時間は長くなる。webデザインが企業にとってより大きな価値を持つのは間違いない。
webデザインが未来をつくる感がとてもする、おもしろい遊べるメディアにいまから変わっていくと思う。70年代、80年代のグラフィックデザインのような時代をつくりだす空気感がある。領域を崩そうよ!
今からWebは絶対面白い。デザインは遊べないと効果がでない。