今回は会社のイメージの話です。自分で会社や商店を持っている場合や、そこに所属している場合、フリーランスで仕事をしている場合などいろいろありますが、イメージというのはとても大事ですよね。でも時代によって大きく変わるなーと思っています。
企業イメージって、あやしくない?
企業イメージとは消費者に持って欲しいイメージを考え、それを具現化することでした。そのためにロゴマークやビジュアル要素のエレメントをつくり展開し、消費者にイメージを焼き付けようとしたのです。そしてその方法を大まかに言ってブランディングと呼んでいました。
しかし、その方法を消費者がうんざりし、結果的に拒否するようになったらどうでしょうか?
どうでしょうか?とはもちろん企業にとってです。巨大な企業はもちろん、最近では飲食店でさえブランドイメージなんて言ったりします。大企業、小さな会社、ショップにいたるまでこのようにイメージ操作をして消費者に対してアプローチしています。それが効果的に作用しないとしたらいまの施策に意味はあるのでしょうか?
なぜこんなことを言うかというと、ネット社会はいま多くのグレーゾーンが存在し、そのなかでいろんな手段を使った危ない詐欺まがいな売り方が存在しでいます。しかし、このような詐欺まがいな商売に慣れ、情報過多社会に慣れた消費者は、情報の取捨選択がうまくなっています。その結果、広告を鵜呑みにしない、自分で検索して確かめる消費者が現れてきているからです。
情報の透明性を消費者が求めるようになった。
ネット社会はグレーゾーンと言いましたが、本当は無法地帯といっていいのかもしれません。大人から子供まで、辛辣な言葉で人を傷つけてもお咎めなし。
情弱を狙ったコンサルや美容やサプリメントやダイエットジムの効果の表現が過剰でほとんど詐欺のような表現、そしてフィッシング詐欺やウィルス・マルウェアのあるウェブサイトへの誘導など悪質な犯罪行為、などなどネット社会にはびこっています。
だからこそ消費者は自分を守るために、広告を信じなくなる。ごくごく当然ですよね。そこで広告は心理学という最も人間が弱い部分に焦点を当て、広告効果を狙っていきます。その一つがザイオンス効果です。人は何度も何度も繰り返されることばを嫌でも覚えてしまう特性があります。接触回数が上がり広告で見かけた商品をつい買ってしまった…みたいにますますエスカレートして広告が消費者を飼いならそうとする。こんな関係を企業は望んでいるのでしょうか?
ブロックチェーンを使って、信頼を構築する企業
ブロックチェーンって仮想通貨のあれですよね?ってきっと思われるかもしれませんが、そうなんです、仮想通貨はブロックチェーンをベースに考えられたものです。
ブロックチェーンはWebのサーバー&クライアント型とは違いP2Pです。どこがどう違うかなんてどうでもいいような感じですが、実はこの違いが新しい時代をつくり出そうとしているんです。ほんとうにそう思っています。
今回は、その話ではないので簡単にその違いを話します。
大きな違いは、P2Pにはサーバーがなく、対等な役割を果たす各コンピュータ(ピア)が状況に応じてサービスの提供者になったり利用者になったりする。例えれば個人と個人がつながって国ができるイメージですね。いや、いいですね。
サーバーがないP2Pの特徴でネットワーク全体の管理や監視が難しいこと、そしてブロックチェーンによって改ざんができないし破壊できないうえに、すべての取引データを記録していて誰でも見ることができるわけですから、透明性は非常に高いものとなります。おえらいさんに忖度して、書類を改ざんするなんてこともできなくなります。
ここに、広告を組み入れようというわけです。といっても広告自体ではなく、悪質度を計る基準をつくってそれに沿って悪質広告のランキングをつくり、ユーザーが誰でもそれを見れるようにし、騙されないようにする自警団組織のようなものです。
会社名や商品名が明記され改ざんされることはなく、悪名が残り続けるというわけです。もちろん会社名を変え商品名を変えてしまえばわからないのかもしれませんが、何度繰り返してもリスト化されるわけですから、悪質度レベルは高まり手間隙かかった割には利益が上がらずなかなか厳しい経営となるでしょう。
この組織の資金源は、同じ業界のホワイト企業からの出資が見込まれます。自分たちではできない環境の浄化が可能になるのですから願ったり叶ったりではないでしょうか。企業の社会的責任の観点からも多くの企業が参加する可能性があります。
こんなシステムが本当にできるの?と思うかもしれませんが、米国でadChainというサービス名で始まっています。
消費者とのエスカレートした関係をきっと企業は望んでいないに違いありません。広告の透明性を高めることによって新たな関係が始まるでしょうし、広告業界が生活者をいつの間にか、ターゲットとか消費者と呼ぶ考えが変われば、個人主体の世界の始まりを告げる合図なのかもしれません。