小説家片山恭一の文章の書き方

19 宮沢賢治のオノマトペ(承前)

 もともとオノマトペ(擬音)というのは、かなり共同体的なもの、あるいは民族的なものです。民族語的なものと言ったほうがいいかな。たとえば犬は日本語では「ワンワン」と鳴きますが、英語では「バウワウ」、フランス語では「ウワウワ」、ドイツ語では「ハフハフ」、ロシア語では「ガフガフ」、中国語では「ウーウー」と鳴くようです。「なんで?」ってくらい違いますよね。あと有名なのは、鶏の「クッカドゥードゥルドゥー」。「おまえ、コロラトゥーラか」と言いたくなります。やはり英語で、牛が「ムー」と鳴くのはわかるとしても、なんで豚が「オインク(oink)」なんや? とまあ、そのくらい動物の鳴き声っていうのは言語なんですね。

 ところが宮沢賢治という人は、民族語的なオノマトペをそのまま使いたくなかった人みたいです。猫が「ミウ」と鳴いたり、犬が「ふう」とうなったりするのは、この人としては穏当なところです。でも蛙が「ギッギッ」と鳴くあたりから不穏な影が差してきます。風が「どっどどどどうど どどうどどどう」と鳴ると又三郎がやって来ます。そうなると雀は「ちらけろちらけろ」と鳴くし、よだかは「キシキシキシキシキシッ」と叫び声を上げます。小岩井農場あたりでは鳥は「ぎゆつくぎゆつくぎゆつく」と鳴いているようです。ここでフクロウも黙っていられなくなって「ゴギノゴゴオホン」と離れ業で鳴いたりします。いったいどうやって、こんな複雑なオノマトペを考え出したんだろう?

 まあ、宮沢賢治さんはいろいろ不思議な人ですが、オノマトペにかぎって話を進めると、こんなものが見つかります。「まっ白な岩からこぼこぼ噴き出す冷たい水を」(「風の又三郎」)。「冷たい水がこぼんこぼんと音をたてて」(「貝の火」)。「石の間から奇麗な水が、ころころころころ湧き出して」(「双子の星」)。きりがないのでこのくらいにしておきますが、水(冷たい水)のオノマトペだけでこんなにあります。おそらく賢治以外は使わないような擬音が使われています。

 賢治にとって、水はとてもプライベートな物質だったように感じられます。水だけじゃなくて、風も太陽も月も星も雪も木の葉も動物も虫も、独特なオノマトペによって何か親密な色合いを帯びてきます。では、これらのオノマトペはどこから生まれるのでしょう? 賢治のなかでしょうか? それとも事物のほうからやって来るのでしょうか。ぼくはどうも賢治と事物のあいだに主客未分化の領域があって、そこから「こぼこぼ」「こぼんこぼん」「ころころころころ」と生まれてくるような気がするのです。それは〈性〉と呼んでもいいかもしれません。

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