最近アートが世界のビジネスリーダーに必要にされていると言う話をよく聞くようになりました。そして、日本でも渋谷の若き経営者たちはアートに興味を示します。
そこで今回はアートとビジネスについて、デザイナーとしてずっと生きてきたぼくの考えをまとめてみました。
もしアートが日本の経営者に必要とするならば、白いキャンパスに真新しい一筆をいれる勇気とディレクション力だと思います。日本のいちばんの問題は、前例のないものには手をださない。という体質です。ビジネス処女は嫌われます。
日本でウケるのはタイムマシン経営というやつです。これはとっても便利で、アメリカで流行ったものが3年後に日本で流行るのでこれにお金と人材をぶち込んじゃえ、と資金が流入しマーケットをつくりだす。これをビジネス娼婦といいます。日本はこのビジネス娼婦が大好きです。
ビジネス娼婦が大好きな日本において、なぜアートが必要なのでしょうか?
それはロジカルシンキングでは天井にぶつかってしまい、あらたな価値的想像ができなくなっている、だからアメリカではMFAホルダー(美術学士号取得者)が活躍している、というような話です。
でも日本ではビジネス処女は嫌われるので、あらたな価値をつくっても仕方がないし、マーケットをつくりだす資金も集まりません。ぼくだったら手っ取り早く英語を覚えて今だったらサンフランシスコに行ってAIやブロックチェーンを使った新しいアプリをいろいろ調べてつくりだし、日本で売るほうが間違いなく資金はあつまる。そう考えます。
それでもアートが日本のビジネスに必要となるのは、タイムマシンが少し先の未来しか見せなくなって、どんどん世界は狭くなりノイズに溢れ、その中から情報を取捨選択する本質を見抜く力が必要となったからと考えるべきでしょう。経営者に審美眼が必要になったということです。
そう考えると、アートとビジネスの関係を語りやすくなります。経営者がデッサンを始めたら突然アイデアが閃いてきて、あらたな価値をつくりだすみたいな飛躍した話をしなくてすむようになります。
本質を見抜く力や審美眼をどうすれば身につけ、経営に役立たせることができるのか、そのためにアートはどんな役に立つのか。
たぶん、この本質を見抜く力を本屋にあるアートシンキング本では「直感」ということばで表現したとぼくは解釈しています。もちろんある日、天から神様がビジネスヒントを教えてくれたというような意味もあるのでしょうが、再現性がないので考えないことにします。
多くの人は世の中の評価に左右されます。有名だから、値段が高いから、賞をいっぱい取ってるから、つまり常識で判断しているわけです。常識というのは誰かの都合でつくられています。そのポジションでいちばん得をする人がつくったものです。
この常識を経営に持ち込むと、どこにでもある安全パイの役に立たない、未来をつくりだせないモノをつくります。
本質を見抜く力というのは、世の中の常識ではなく歴史のコンテキストを読み解く力と新しく白いキャンバスに何を描くかというディレクション力によってつくりだされるもの。そう考えるとアートの意味があります。アートが本質を見抜く力を付与する可能性があります。
なぜならアートは自分の描きたいモノを、なんの脈絡もなく、情動に任せて描くものという考えもありますが、いまではそんな19世紀的な方法では絵は売れません。絵画の歴史のコンテキストを考え、いま何が世の中で価値があるのかを自分のなかで昇華し、未来を絵画で表現したものです。そこに未来がみえるから価値があるのです。
つまり、意外とアートというのはロジカルシンキングが必要とされます。天才がゼロからイチをうみだしているみたいな話ではありません。
たとえば、現代アートの巨匠アンディ・ウォーホルは大量消費文化の象徴としてのキャンベルのスープ缶やマリリンモンロー、エルビス・プレスリーなどの誰もが知っているモノやコトをモチーフに作品を制作しました。世界一の消費国だったアメリカを皮肉り消費を芸術に昇華したのです。そこに今と未来を見せたのです。ちなみに、アンディ・ウォーホルはデザイナーでした。
そう考えるとアートを学ぶことに大きな意味があります。筆や鉛筆を手にとらなくともビジネスに経営に大きな影響を与えます。数字ばかりの経営に表現する意味を付加すると、新しい価値をつくりだすかもしれません。
僕は現在においてアートもクリエイティブワークスもどんどん差がなくなっていってると思っています。僕らラボはこのアートでみんなの役に立てればいいなと思っています。