在國寺穂のZAIのスタートアップ語録

5 いま、ここにいること

僕は、大学を卒業する年、就職せずに仲間と起業した。

東京に出たら、そのうちやりたいことが見つかるだろうと思って上京したが、結局やりたいことは見つからず、決めきれず、大学卒業を目前に控えていた。

もう、時間がなかった。

今書いているこの卒論を提出したら、大学卒業が決まってしまう、という変な焦りも感じていた。

就職活動はしていなかったので、このまま卒業すると、いわゆるフリーターになる。

だったらいっそ、お金もコネも経験も技術もなく、ポーンと社会に身ひとつで飛び出て、何ができるのか、いや、何がしたいのかを知りたかった。

今思えば、「何がしたいかを知るために起業する」なんていう動機でスタートして事業が上手くいくハズはない。

当然、お金の無い生活が始まった。

オフィスは、一応、音楽×ITの会社ということで、イメージ的にも渋谷区にしようと決めていた。

ただし、使えるお金は限られているので、渋谷区の中でも家賃の安い初台のマンションを事務所兼自宅にして、男2人の共同生活。

生活費を抑えるために、自炊もする。業務用スーパーで安く買ってきた食料を冷凍させて、少しずつ料理に使う。1日の食費が100円以下という日もザラにあった。

その頃、一緒に会社を立ち上げた代表が学生時代にテレビ番組制作会社でバイトしていた縁で、ベンチャー起業家の密着ドキュメンタリー番組の取材を受けたことがあった。

当時、ライブドア事件の真っ最中で、いわゆるヒルズ族が良くも悪くもクローズアップされていた時代。ベンチャーブームの現場を追う企画だった。たしか、「ライブドア事件後も六本木ヒルズを夢見る男たち」みたいなタイトルだったと思う。

六本木ヒルズには全く興味は無かったが、不思議な縁もあるもので、実はこの起業した会社の一番最初の取引先は、まさに六本木ヒルズに入居していたライブドアだった。

取材の日、ディレクターが初台のオフィス(マンション)に来るなり、打ち合わせもそこそこに、隣のスーパーで冷凍食品やらの食料を大量に買い込んで差し入れしてくれた。

我々の生活の様子を見かねてのことだったんだろう。今の僕でも同じことをすると思う。

ちなみにその番組の出演が、のちに僕の人生に少なからずの影響を及ぼした。それについては改めて書きたいと思う。

そんなスタートを切った会社で使えるお金はないが、仕事をする上では人と会っていかないといけない。

ITと言いつつも、何か特殊な技術やプロダクトがある訳ではないし、経営者としての学びもない。

とにかく、ひたすら先輩経営者と会うことから始めた。飲みの場に呼ばれたら必ず行っていた。

仕事の話、経営の話を聞かせて貰いながら、ご飯もご馳走になる。22〜3歳の僕にとっては、めちゃくちゃ貴重なインプットの時間だった。

もちろん、相手の為になるようなアウトプットはまだまだ出せない。だったら、とにかく好かれる。おもしろい人が集まる会を企画する。何かある時に呼ばれる存在になるよう行動した。冬場は、通称ザイ鍋という水炊きを作って先輩達に食べてもらうというイベントが代々木界隈で恒例化していた。

毎月の資金的な死活問題も抱えながら、でも僕自身楽しみながら、1年以上そんな生活をしていると、自ずと良い話が舞い込んでくるようになった。

人脈という言葉は、誰を知っているか繋がっているか、ではなく、いかに周りの人に自分のことを想起してもらえるか、だと思う。

何かある時に、あいつを呼ぼう、あいつに紹介しよう、あいつに相談しよう、と思ってもらえるか。

そのために大事なことは、「いま、ここにいること」だと思う。

今はリモート時代となり、オンラインでのコミュニケーションが簡単に取れるようになっているが、だからこそ余計に、リアルに、いま、ここにいることの重要性や価値は高まるんじゃないか。

全く同じ能力値の会社や人がいたと仮定して、直接的に繋がっている相手の方が圧倒的に想起されるし、目の前にいたらその場で物事が決まる。

経営者は決めることが仕事なので、即断即決、あらゆることを早く決めたがる。

オフィスや商談を離れた場で、たとえば飲みの場で、ビジネス上の重要な物事が決まる現場を何度となく体験してきた。

数億円規模の出資の話が、わずか一度の会食で決まったこともあった。

あのときあの場にいなかったら、と考えると、まだ整ってなくても躊躇せず行動することが全てだとさえ思う。

その場その場で、相手にどれだけ自分が必要とされるか、楽しんでもらえるか、の実践を繰り返してきたことが今に繋がっている。

縁とタイミングを大切に。

いま、ここにいること。

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