データも言葉もイメージの魔力が必要
なんだか、文章を書く人みたいに、前回「言葉の魔力」なんてことを訴えてきました。デザイナーのぼくはここいらで、自分の本業のビジュアルについて語ってみたいと思います。今まで散々、言葉の力は世の中を動かしてきたなんて言ってきましたが、実は言葉って、理屈をつければなんだって言うことができるわけで、それだけで人々が納得してその言葉に価値を見つけるなんて、むずかしいのではないかと思うわけです。
根拠だったり、カリスマ性だったりがなくって、ことばを聞いた人が「ああ、そうなんだ!」なんて思うはずがない。語る力とは、誰が話すかによって決まります。その個人の情熱や信念の強さが、からだ全体からエネルギーとなって放出し、言葉とともに聞いた人に伝わるのです。
しかし、それだけではなく、実は演出やビジュアルがなくては、心に刺さる効果をつくり出すことはないと思います。みなさんもプレゼンテーションをしていますよね。この見栄えで見ている人の反応が大きく変わります。有名なところでは、apple。映像と演出とプレゼンテーターの語る力で、見ている人の感情を揺さぶります。データも言葉もビジュアル化することによって花咲くのです。エンターテイメントというのはまさにこのプレゼンテーションそのもの、いやいや、このエンターティメント性をうまく利用したのがプレゼンテーションと言えるかもしれません。
つまり、ことばとビジュアルは陰と陽、コインの裏表、どちらが欠けてもナラティブ(ものがたり)は生みだされず、感情を揺さぶることはないに違いありません。
ぼくも含めて多くの経営者やクリエーターは片面だけのコインで勝負をしているように見えます。単純に下請けで商売が成り立つのであれば、こんなコインの話は必要はありません。でも消費者と直接取り引きをしている場合は別です。このようなBtoCのほとんどの事業が、ある程度のところから伸びなくなり、市場から消えていくのはこのせいだはないかと思います。
コノナ以後の世界を考えると、バーチャルなインターネットの世界が、経済圏が、いま以上にびっくりするほど急拡大するに違いありません。そのとき、消費者は、「なに」を「どう」選ぶのでしょうか?あなたは「どう」選ばれたいのでしょうか?
ナラティブ経営
前回も言いましたが、なぜこの会社をつくったのか、なぜこの商品を売っているのか、なぜ仕事をしているのか、そして幸せとは何なのか、その答えは?
その答えが経営者の売っている「もの」の価値になる。なぜって?単にお金が欲しい、ビックになりたい、そんな動機から生まれた商品や事業、幸せを知らない人がつくるものが素晴らしいとは思えないからです。どこにでもある商品はネットでは売れません。嘘をついて売るか、騙して売るかしかありません。ソレノドコガイケナイノ?っていうかたはどうぞ、そのままで。
その思想を形にあらわして世の中に提示する。そこから、その会社のナラティブ(ものがたり)がはじまり、それに賛同した人たちが集まってくる。ぼくが考えるナラティブ経営とはこのように始まります。ぼくらラボもこのようにして生まれました。ただ、なんにも成果を上げてないので実証できていませんが、まあ、インターネットの世界は生煮えでエイヤ!で始まるものですから、なにがナラティブだ!馬鹿なやつだと笑って見てくれたら幸いです。