まるごとデザイン

世の中はデザインされている

月をつかまえる

あなたの一番の望みは何ですか?って聞かれたら、「笑いながら毎日を過ごすこと」って答えます。ただ、そうなる為には「お金がいっぱい必要ですね」って返ってきたら「やっぱり、そうですかね」ってさびしく答えたかもしれません。10年前の僕だったら。

小さい頃、「アリとキリギリス」というイソップ物語を読んだ時、あそんでばかりいると死んじゃうの?仕事をしないといけないんだと思いました。周りの大人からも「働かざる者食うべからず」なんて言われ、「絵ばっかり描いてないで勉強しなさい、子供が勉強するのは働くのと一緒なんだから」と言われ、遊んでばかりでは駄目になるに違いないと思うようになっていたようです。

大人になって、どうにか自分の腕でご飯が食べれるようになった頃には、俺はちゃんと働いてるぞって思う自分に少し不思議な感覚を覚えていました。俺って意外と普通な人間なんだ、やればできる人間なんだと。その頃からだと思うんですが、幸せは社会的成功を収めることによって獲得することができる、椅子取りゲームみたいなものだと考え始めていました。苦労して手に入れるのが幸福というモノなんだと思ってしまったんですね。後でわかったのですが、これこそが社会ダーウニズムにしっかりと適合した姿だったのです。

ちなみに社会ダーウニズムって何かというと、「ダーウィンの生存競争、適者生存、優勝劣敗などの概念を人間社会に当てはめ、それに沿った政策を主張する立場」ということらしいですが、勝ち組、負け組で人間を分けだしたのもこの考えが導いたのだと思います。

だからどうやって勝ち残るのかにフォーカスがあたるようになります。その為には、僕の例で言えば起業したからには借金をしながらでもその方法を見つけ実践し突破することがあたりまえなんだと考えだすわけです。簡単に言うと「月を捕まえる」方法論みたいなものです。目では見えるけど捕まえることはできない。人が羨む成功とはこのくらい難しい。つまりこの考え方だといつまでたっても幸せになることはできないってわけです。これが人生だと悟ったように成功者を月のように眺めて終わることになります。

ということは、椅子取りゲーム中の人も、負けた人も、たった一度の人生なのに「幸せではない」人生を送らざる負えないということでしょうか?『もしそうなら、なんだかこんなに高度に社会が発展しているのにあまりに知恵がなさすぎるなぁ』1勝1敗のぼくはそのように考えたわけです。実は違うんじゃないか。幸福は必死に努力して社会的成功を成し遂げ、手に入れるんじゃなくって、幸福があって、その中から適切な努力をして社会的成功が生まれるんじゃないかと。幸せでない人間がいい仕事なんてできないだろう、良いアウトプットはできないだろう。そう思ったんですね。

世の中はデザインされている

商品をつくる人も、料理をつくる人も、小説を書く人も、芸術家と言われる人も、会社を経営する人もそうあって欲しいし、幸せの味を知らない人がつくった商品やサービスを受け取りたくないな、実際いやだろうと考えると、やはり売れる商品は、幸せを知ってる人が生みだすのではないかと思わずにいられません。

じゃあ、お金持ちだったらみんな心が満たされ幸せかというとそうもいかないみたいで、そう考えると幸福とは社会的ダーウニズムだけではなく、なにかあるはずです。もしかしたらどこかにある、もう一つの生きる意味を知らないでいるのかもしれません。

そのなにかを、哲学者は生活形式と言っています。人生をつくる価値観は社会的ダーウニズムなどの数値で決める生存形式と、体験や芸術などの精神的な生活形式で出来上がっていると言っています。いま多くの人が勘違いしているのは数値化された生存形式が幸せをつくるものと思い込んでいて、体験や芸術や楽しい時間などの精神性の充実した生活形式は個人的なもので周りから評価されない、だからそれでは幸せになれないと思ってしまっている。「幸せってなんだっけ」ってその答えを経済に求めすぎたのかもしれません。

最初にもどりますが、「お金がいっぱい必要ですね」って返ってきたら「やっぱり、そうですかね」ではなく「お金はなければ困るけど、少しあればいいです。みんなと笑いながら楽しく話せて、おいしくたべることができれば」そう言います。その小さな幸せが、新しい何かを生みだし、またどこかにいる気の合う仲間と出会い、小さな幸せが積み重なり、もっと多くの何かが生みだされればいいなと思っています。

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