Outputってなに?
グラフィックデザインの世界では「死」を扱うことはあまりないです。死に関わる商品があまりないからですが、誰もが避けて通れない事実なのに「死」を雄弁に語るCMディレクターなんて見たことないですし、仕事を離れて「死」をモチーフに描くイラストレーターの人って全く知りません。不幸を描くことは例外を除いて広告ではタブーですからね。
ちょっと、広告関係から離れるとアーティストも作家も哲学者も「死」は大きなテーマになっています。「死」があるから偉大な芸術が生まれ、世の中の人々はそれに感動し、心の琴線を震わすのです。終りがあるからそこまでの過程に意味が生まれ物語がつづれ織のように織られていく。クリエイターはそこにあたる光と影をつかみ取り自分の地平に引きずり込み表現を試みる。もちろんうまくいかないことがほとんどでしょうがそれなくして作品を創り上げることはできないのです。
その「死」ですが難しく言えば、いくらでも難解に表現することができます。なぜなら、今生きている人は誰も死を知らないので、どんな表現も嘘にはならないからです。だから頭の中でつくりだすどんなことでも表現することができるのです。
ぼくはこの2~3年病におかされ、「死」に近づいたなと意識せざる負えない時期がありました。その時少し死について思ったことがあります。死んじゃうとOutputできないよね、って。あたりまえですがぼくにとって少しショックでした。生きている事はOutputできることだと気づきました。
人はなぜOutputするのかというと、自分を確立するため、アイデンティティをつくるためといえます。他人がいるから、自分を確立する必要がある。つまりそれは、自分ひとりでは生きていけない、生きることができないということです。Outputってそうゆうものなんだって改めてわかりました。
人は他の人のためになる事によって、自分を助けることができる。人が生きるというのは、そこにすべての出発点があると思えます。だから社会と関係する事なく、自分の事だけの満足を得るためだけに生きていると、心も身体も不調をきたすことになります。
よく芸術は「自分の魂の叫びだ」みたいなことを聞きますが、なんだか怪しいなって思っています。それが人の心の琴線に触れないもの、役に立たないもの、社会的に意味のないものならば芸術という言葉でごまかしているように思います。芸術というのはとても社会的なもので、Outputすることは他の人の役に立ち、その事によって自分を光らせることができるもの。そうぼくは思いたいし、でなければOutputって単なるマスターベーションになってしまいます。
終りがあるから日々の営みに光があたり美しく輝かせることができる。
愛も恋も憎しみも性も「死」がスパイスのように隠れていると深みがでます。クリエイターと言ってもこれを知っているかどうかで結果がおおきくことなります。