ヒガシユウジのまるごとデザイン

クリエイティブはなにをするのか?が重要

未来の入り口

気がつけば目の前に、SiriやAlexaなんて外人の友達がぼくの家にもいます。この人工知能アシスタントってSF映画でみた未来の生活そのものですよね。 これが未来への入り口だとぼくは思っています。今までのgoogle検索もFacebookのソーシャルもプロローグみたいなものだと勝手に思い込んでいます。だってソーシャルグラフって承認欲求という人間の痛いところをついてデータを集めようという姑息な方法ですよね。これが未来そのものだったら嫌だなってやっぱりおもいます。

幸いぼくのまわりのみんなも、毎日何を食べたかなんてだんだん投稿しなくなって、やっと本編に入るんだって感じています。本編の始まりはSiriやAlexa、IoTで「勝手にデータがとれる」なんでしょうが、ぼくは技術を売ってたり、明日はこうなるのコンサルタントでもないので、日本は10年遅れているとか、福岡はとんでもなくお花畑だぞ、みたいなことは「そうだね」とはいいますが、あんまりどうでもいいわけです。

クリエイターはなにをするのか?

で、それでなにをするの?が重要なのです。
つまり、未来がどうなる、こうなるっていうのはメーカー発想、送り手の理論ですよね。受け手の生活者はそれで「笑いながら毎日生活できる」か、が重要なのですよね。
未来はどうなるよりも、ぼくら生活者がどんな未来をつくるのかが重要だし、ぼくらが何を望むのか、のほうがとても重要だと思います。

ぼくは未来をつくる送り手の技術には、なんども言っていますが、倫理や哲学が組み込まれなくてはいけないと思っています。倫理や哲学は過去や今の状況を分析するためだけにあるのではなく、今から生きるための羅針盤です。「勝手にデータがとれる」はいいけれど、それをどう使うのか?倫理や哲学がなければ単に利益の拡大にのみつかわれ、人々のためではなく、人のポケットからお金をうばう強欲なシステムになりかねません。

インターネットをベースとしたAI網の未来は「笑いながら毎日生活できる」ためにあればいいなと思わずにはいられません。そのためには、ぼくら受け手である生活者自身も、あたえられるものをチョイスするだけではなく、どうなりたいかを探すこと、とても大変ですけどそれができれば大成功だと思います。ぼくらラボがそのために少しでも役に立てればこれも大成功なんですけどね。

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