まあ、簡単には言えないけれど、そしてぼくの個人的な考えというよりも、先人の経験値をもとに、ちょっと先を考えてみるのもいいのかもしれません。
昔ボクが書いたもので、バウハウスから始まるのでちょっと長くなりますが、なんだかよくわからないなーって思ったときに読むとピントが合うかもしれません。時代とともにデザインが変わっていくさまがわかると思います。
AI時代のデザインっといっても、もとがわからなければ先もわからないわけですからね。
バウハウスからCIまで
バウハウスを創設したグロピウスは「デザインはあらゆる分野の共通公分母である」といっている。
それは人工的につくられたすべての物はデザインされている、というような思想だと思う。
それを基本に考え、機能主義でシンプルなデザインの、つくりやすい商品を大量に作ればコストが下がり、多くの人にいきわたる。
つまり、量と機能と美がいっぺんに手に入る。
そのバウハウスはナチスに潰され、主なメンバーが世界に散らばりデザイン界に大きな影響力を与えた。
その影響を大きく受けたであろうアメリカでは、デザインの神様と言われるレイモンド・ローウィが「醜いと売れない」と言った。(1925年から1970年代に活躍)
また、消費者の中に潜む「新しいものの誘惑と未知のものに対する怖れ」との臨界点、「先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる」MAYA段階を1940年頃発見した。そしてデザイン手法は、デザインしたものを顧客に聞き選ぶという手法。そのさい、顧客には嫌いなデザインを選んでもらう手法をとった。
このようにローウィはどうすれば商品が売れるかを追求したデザイナーである。
つまりデザインはマーケティングの武器で、儲けるための武器だ。と言っているのではないかと思う。
マーケティングの為のデザインだけではなく、経営戦略としてのデザインも同じ頃アメリカで始まる。
IBMが1956年に始めたCIだ。(それに遅れて4年、3Mは1960年にミネソタ・マイニング・マニファクチャリング・カンパニーを3Mの呼称にし展開した。)
「IBMの三文字をアイデンティティ・ネームとし、この文字を美しくデザインし、それを見ただけで会社の思想や業容が思い浮かべるようにする」という思想のもとCIは始まった。IBMは単にロゴマークを作っただけではなく、その思想を表すにふさわしい、ショールーム、工場、セールスマンのセールスツールその他、企業を表すすべてのものがアイデンティファイされた。つまりこれがCI構築の始まりだった。
当時の社長、ワトソン・Jr.はその後「グッドデザイン・イズ・グッドビジネス」と明言した。
そのころ日本では、亀倉雄策氏が
社会に対してデザイナーは責任を持たなければならないということは建築家や医者と同じだと思う。よりよい生活、よりよい社会を創り上げるための材料にデザインがなければならない。よいデザインとはよい社会を作るための良質の材料だということである。(デザイン随想離陸着陸より)
田中一光氏は
かって、ぼくはデザインは社会に対するビタミン剤だと思ってきた。社会をより円滑に活性化するためには、どうしても必要な要素であった。しかし、無理にビタミンを薬剤として投入しなくても人間は死にはしない。にもかかわらず、社会が平和であればあるほど、薬剤の投入が激しくなる。(田中一光デザインの周辺より)
1989年の本で河北秀也氏が
デザインとは付加価値の創出である。付加価値とは、時代が共有する哲学や思想や気分がもととなって起こる、需要と供給のバランスから生ずる価値のことである。
それを意図的にプログラムし、創出していくのがデザインという行為である。
(河北秀也のデザイン原論より)
1996年季刊iichiko国際版8号では
デザインとは付加価値の創出である。付加価値とは、時代が共有する哲学や思想や気分がもととなって起こる、需要と供給のバランスから生ずる価値のことである。
それを意図的にプログラムし、創出していくのがデザインという行為である。
(河北秀也のデザイン原論より)
1998年附設高校の講演では
デザインとは人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、その改善を図る営みのことです。つまり、人間の幸せという大きな目的のもとに、創造力、構想力を駆使し、私達の周囲に働きかけ、さまざまな関係を調整する行為を総称して「デザイン」と呼んでいます。
http://fusetsu.org/otoko28/khaos/01kawakita.html
日本型CIを確立した中西氏は
今までの活動を”「企業経営における理念・指針のデザイン」「市民社会的なインフラ構築のデザイン」を上位に位置づけ、「モノづくりやサービス開発」を下位の概念に位置づけていたという点では、今振り返ってみても私たちの志向は間違いではなかったというか、もう少し高次元のDesign Thinkingの発想を当初より持っていたと言えます。”
この発言の元となる考えは、
”デザインにとって最終的な造形表現は実に重要なのですが、そこで止まると「デザインが持つ哲学や可能性の芽や広がり」自体を摘み取ってしまう。”
にあると思います。
そしてデザインの使命について以下のように記述しています。
”デザインがミッション(使命)とするところは、社会基盤ともいえる領域での審美性・快適性・安全性等々の追求と具現化なわけですから、これはどう考えても職能的なデザイナーだけの手には負えない領域を包含しています。つまりデザインを広い領域にわたって機能させるということは、経営者・政治家、そしてその他多くの分野の人たちの価値観改革や意識の高揚があってこそ可能なのです。”
しかし、現在の問題点を以下のように指摘しています。
”デザイン誌ですら、基本的には作家作品主義ヘッジから抜け出そうとはせず、企業経営に関わるデザインの域にまでは立ち入ろうとはしない、これは自らデザイン分野の可能性の芽を摘み取り視野狭窄に陥ってしまっているのだとしか言えない状況です。”
また、このようにも指摘しています。
”特にわが国の場合、ここ20年ほど、デザインを自社や目先のビジネス上の利益のみを考えて捉え私的な食い物にしてきた報いが、わが国企業体の弱体化という現実として現れてきているとしか思えません。”(2010.10.18 中西元男実験人生より)