こころの価値のへんか
もう、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、お金を得るのに労働の対価としてもらうというのはとても効率が悪い。お金は、お金でつくり出すもの。今の金融資本主義ではこれが現実ですよね。
なぜこんなことを言っているかというと、一生懸命働いてもお金はなかなか手に入らないということです。今どき”働かざるもの食うべからず”なんて言ってるやつは、都合のいい常識を利用して働かせようとしているんじゃないかと勘ぐりたくなります。
真面目に働けば働くほど飯が食えない。それが今の時代なのです。
「こんなつまらない金融資本主義から積極的にドロップアウトすれば新しいローカルの景色が見えてくる。全体の価値の中では見えなかった価値が見えてくるようになる。」
いま、市民の一部ではこのような気づきがちょっとづつ進んでいるように思います。
いい服を着てお出かけして、オシャレで、美味しいご飯を食べて…。こんなことを繰り返していたら消費が多すぎる、生活燃費が悪すぎる。こんなことをしても幸せ感があんまりない。そう思う人が新しい生活に気づきだしています。
人生の質と消費
生活の燃費を良くすると、心に余裕が生まれます。金融資本主義の世の中ではみんながライバルだったのが、「やあやあ」って気の合う仲間と家で集まって、カロリーの低い美味しい鍋でも突きながら楽しく生きられます。そうすれば、お金をたくさんもって、自分たちだけ楽しく孤独に長く生きるより、生きる楽しみを味わいながら歳を取ることができますよね。
金より、生きる楽しみつまり「人生の質」に心がシフトした時、消費はどのように変わるのでしょうか?
今からの消費はこの「人生の質」をつくり出すことです。クリエイターが消費者に戻れば、そこに楽しく生きるために役に立つモノ・コトを仲間のために創り出してみんなでシェアする事ができます。「人生の質」を上げることができます。
前回も言ったようにここに企業を巻き込んで商圏をつくる。その流れができればみんながクリエイターになって自分たちのためにモノ・コトをつくり出し消費する循環に変わります。僕はこのことを需要サイドの経済の拡大だといっています。
いままでは供給サイドの規模の拡大ばかりでしたが、もう欲しい物がないわけですから作っても仕方がない。いまからは需要サイドの拡大が求められている、そう思っています。ぼくらの半径10メートルの生活を楽しむことこそが生きる楽しみだ。と思うのです。この話は次回まで続きます。