小説家片山恭一の文章の書き方

39 タイトルをつける

39 タイトルをつける

 今日は小説のタイトルについて考えてみましょう。ぼく自身、これまでにたくさんの小説を書いてきて、その都度、タイトルをつけてきたわけですけれど、とくに統一性やポリシーがあるわけではありません。もちろん作品にふさわしいと思うタイトルをつけるわけですが、読者から見るとどうなのでしょう?

 小説のタイトルには二つの系統があるように思います。たとえばカミュの『ペスト』などは作品の内容そのままですね。あの小説は最初から最後まで、ペストという伝染病をめぐる話です。ヘミングウェイの『老人と海』などもこの系統でしょう。カフカの『変身』、ドストエフスキーの『罪と罰』、トルストイの『戦争と平和』なども、タイトルは作品の内容と密接にかかわっています。説明的とはまでは言わないまでも、読者はタイトルを見ただけでおおよそのところ作品の内容を推測することができます。

 ところが村上春樹の『ノルウェーの森』はどうでしょう。冒頭で主人公が飛行機に乗っていると、BGMでこのビートルズの曲が流れてきて、それが呼び水となって過去の出来事が語られていくという趣向にはなっていますが、作品の中身と直接的には関係がありません。むしろ比喩的というか、メタファーみたいな役割を果たしています。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』などもそうですね。ぼくの好きな作家でいうと、ミラン・クンデラには『冗談』とか『不滅』とか『無知』とか『緩やかさ』とか、抽象的なタイトルの作品が多く見受けられますが、これらもタイトルは作品の象徴としての役割を担っていると考えられます。

 ぼくの場合、小説を書きはじめる前に、まずタイトルをきめます。タイトルがきまらないと、書きはじめることができない。なぜならタイトルは、その作品で描きたいと思う世界をあらわすものだからです。だからタイトルに向かって書いていく、と言ってもいいくらいです。書き進めている途中で、もっといいものを思いついて変えることもあります。

 出来上がったものを本にする段階で、編集者とのやり取りがあります。編集者は作品を最良のかたちで読者に届けようと思ってくれていますから、装丁などと同じように、商品のパッケージとしてタイトルをとらえるのだと思います。これでは読者に伝わりにくいとか、読者を限定してしまう、あるいは多数刊行される他の本に紛れてしまう……などの理由で、タイトル変更を提案されることがあります。そのときは編集者が別のタイトルを考えてくれていることも多い。なるほどと納得して変更に応じることもあるし、しぶしぶ妥協して受け入れることもあります。もちろん自分がつけたタイトルに最後までこだわることもある。いろいろです。

 ぼくの最初の本は『きみの知らないところで世界は動く』というものですが、このタイトルは当時の担当編集者がつけてくれたものです。自分でつけたタイトルは『水晶の舟』というものでした。ドアーズの「クリスタル・シップ」という曲のなかに、「輝かしい日々は苦痛に満ちている/きみのやさしい雨でぼくを包んでおくれ/きみが走り抜けた時間は正気の沙汰ではなかった/いつかまたぼくたちは会える」という歌詞が出てきて、まさに作品の世界そのものだったんです。

 『世界の中心で、愛をさけぶ』も、当初のタイトルは『恋するソクラテス』というものでした。「恋するソクラテス」というのは主人公の朔太郎のことです。人は誰でも恋をするといろんなことを考える。自分のことだけではなく相手のこととか、生とか死とか人生そのものを深く考えてしまう、ということで「恋するソクラテス」。でも、これじゃあなんのことかわからないし、下手をすると哲学書のコーナーに置かれてしまうかもしれない、ってことで編集者がつけてくれたのですが、いやでしたね。こんなタイトルの本を出したら友だちや親戚に顔向けできないって、真剣に悩みましたよ。ところが嫌でたまらなかったタイトルのおかげでベストセラーになったのだから、何が幸いするかわかりません。

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