小説家片山恭一の文章の書き方

34 デジタルと文学

 厄介な時代です。この厄介かつ困難な時代のキーワードは「デジタル」だと思います。もともとアナログであるはずの現実がデジタルに置き換わっていく。ぼくなどの世代ではCDが最初の体験だった気がします。本来、音というのはアナログですよね。波ですから。これを16bitのデジタル情報に置き換えたものがCDです。つまり音の波形を積み木で再現するようなものです。積み木の数がビット数にあたります。

 情報量が縮減されているから、アナログレコードなどに比べると音は劣化します。現にCDが登場したときには、多くの人がアナログ盤に比べると音が悪いと感じました。しかし人間の可聴域の上限は20kHzくらいで、通常のCDのフォーマットは44.1kHzだから充分だとされたわけです。

 音楽にかんして言うと、いまではほとんどがデジタルですよね。アナログ盤を聴いているのはよほどのマニアくらいです。もちろんハイレゾ音源の登場などでデジタルの音が良くなったこともありますが、ぼくたちのほうがデジタル環境に慣れた面が大きいと思います。スマホでどこででも好きな音楽が聴ける、という魅力には抗いがたいものがあります。

 写真などの場合もそうでしょう。いくらフィルムの良さはわかっていても、やはりデジタル・カメラの使い勝手の良さには敵わない。それにうるさいことを言わなければ、スマホ一台で誰にでも一人前の写真が撮れる。SNSにアップするくらいなら充分です。その結果、写真を撮ることの意味がずいぶん変わってきていると思います。ひとことで言えばお手軽になった。デジタルの最大の強みは、この「お手軽さ」だと思います。音楽、写真、映像…あらゆる情報をお手軽にやり取りできる。

 お手軽にやり取りできる情報のなかには、もちろん個人情報も入ります。便利な検索エンジンを無料で提供してくれているグーグル、この会社はいったい何をしているかというと、もちろんビジネスをしているわけですよね。ビジネスの中身は情報収集です。現行の世界では「情報=お金」ということになっていて、情報を集めることはお金を儲けることに等しい。

 ぼくなども一日に何回となくクロームを使っていますが、そのたびに大切な個人情報を取られているわけです。他にもSNSでのやり取りやオンラインショップでの買い物など、ぼくたちの多くが一日の大半をデジタル環境で暮らすようになっています。つまりほとんど24時間、オンラインで情報のやり取りをするようになっている。それはグーグルやファーウェイのような巨大なプラットフォーマーに一日中デジタルで監視され、個人データを取られつづけているのと同じことです。

 近い将来、「自己」や「主体」の意味が180度変わるかもしれません。私のことはフェイスブックかアマゾンに聞いてくれ、という時代が遠からず訪れるかもしれない。こうした時代のなかで、文学や言葉はどうなっていくんだろう? 次回も引きつづき考えてみます。

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