丸山泰武のぼくが福岡でフリーライターをやっているわけ

オーバードーズ

ライター27

 その吐き気はどこまでもぼくを追いかけてきた。外出して2、3歩くたびに、あるいはテレビを観ているときに、あるいはシャンプーをしているときに、とにかく胃の中がひっくり返るような激しい吐き気が襲ってくるのだった。ただ、不思議なことに洗面所やトイレで嘔吐しようとしても、出てくるのは胃液ばかりで、固形物を吐き出したことはほとんどない。ぼくは苦しさのあまり、涙をぽろぽろ流しながら、気分が落ち着くのをじっと待つことしかできなかった。


 原因はなんとなくわかっていた。向精神薬と酒が反発していたのだと思う。ぼくはその頃、昼間から酒を飲んでは眠り、起きてはまた酒を飲みという生活を繰り返していた。2000年代前半、確か40才になるかならないかくらいのころの話だ。昼夜が完全に逆転していて、夕日のころに起きて、明け方近くまでテレビを観て過ごすか、ネットで2ちゃんねるの閲覧を延々としていた。映画やテレビドラマのDVDも何度も観たが、大好きだった音楽はほとんど聴くことはなかったし、読書もいっさいしなかった。明け方のニュースが始まるころに、処方された幾種類かの薬を飲み、浅い眠りについた。いや、できればずっと眠ったままでいたかった。もちろん、メンタルに問題がある人の大半がそうであるように、頭の片隅では自殺のことを常に考えていた。ベランダから飛び降りようかとか、列車に飛び込もうかとか、縊死を企てようとか、不穏な感情がどこからともなく沸き起こってくるのだった。死ねないことはわかっていたけれど、何度かオーバードーズ(過量服薬)をしたこともある。そのたびごとにぼくは病院送りとなり、不自由な生活を強いられた。当たり前のことではあるけれど。


 ぼくが入院治療を繰り返し受けた病院は福岡県のO市にあった。生活を立て直すために、規則正しい生活を送り、昼間はさまざまなリハビリテーションを受けた。陶芸をしたり、軽い運動をしたり、時にはカラオケを歌わされたり。ぼくは一度、リハビリテーションの先生に尋ねたことがある。本当に陶芸をすることで社会復帰できるのでしょうか? カラオケが何の役に立つというのでしょうと。その答えがどのようなものだったかは忘れてしまったけれど、リハビリテーションの担当者は、自信満々に「気持ちはわからないでもありませんが、必ず役に立ちます。一緒にがんばりましょう」と笑顔で答えた。そのことだけは覚えている。


 消灯は22時で、ぼくは毎日Mr.ChildrenのシフクノオトをiPodで聴いた。ちょうどこのアルバムが終わるころに眠剤が効いてくる。入院生活の一日はそのようにして終わっていくのだった。