ぼくが福岡でフリーライターをやっているわけ

マイ・ウェ

ライター26

 結局、ぼくは2001年で編集長をおりた。病院から診断書をもらい、会社とも話し合って半年間休養することにした。そして、ぼくはその間にすっかり病気を治すつもりで、ジョギング をしたり、山に登ったり、とにかくカラダを動かすことを心がけた。たしかボディボードもやったと思う。だから、表面的にはずいぶん元気になったように見えたのではないだろうか。本もずいぶん読んだ。白状すると、生まれてはじめてロシア文学と対峙してみたのもこの頃だ。けれどもぼくの頭の中に漂う深い霧は、山深い場所にある湖のように、なかなか晴れてはくれなかった。


 結局、そうこうしているうちに半年はあっという間に過ぎて、ぼくは職場に復帰した。けれども仕事の中身は、編集長時代からずいぶんと様変わりした。簡単なチラシを作ったり、プレゼンテーションの手伝いをしたりと、閑職という言葉がぴったりとくる中身だった。もちろん、それは会社の“配慮”だったわけだが、当時はそんなことを考えられるような余裕がなく、毎日、退職することばかりを考えるようになった。別にプライドがあったわけではないけれど、以前のことを考えると役不足の感は拭えなかったからだ。


 ある休日のことだ。ぼくは田舎に帰省していて、ぼんやりと車を運転していた。夕暮れ時で色づいた太陽がゆっくりと沈みはじめていた。カーオーディオから流れてくるのはジプシーキングスのベストアルバム。それがマイ・ウェイになったとき、ぼくは決意した。「もう、辞めよう。本当の俺はこんなものじゃない。会社なんてどうでもいい。もう辞めよう。そうだマイウェイだ。とにかく俺は俺の道をいかなければ。まあ、どうにかなるだろう」。思えばずいぶんと恥ずかしいシチュエーションだったけれど、とにかくぼくはジプシーキングスのマイ・ウェイを聴いて、会社を去ることを決めた。


 もしもあの時、夕陽の色がそれほど鮮やかではなく、ジプシーキングスなんて滅多に聴かない音楽をカーオーディオでかけていなかったら、ぼくはもしかするとまだ会社に踏みとどまっていたのかもしれない。けれどもそれは運命であって、誰にも変えることができない必然なのに違いない。預言者が発する神の言葉のように。そんなふうにして、ぼくはフリーライター兼フリーの編集者の道を選んだのだった。


 けれども話はそれで「めでたしめでたし」とはならない。ぼくは会社を辞めたのはいいのだけれど、精神の危機は去ってしまうどころか、より深刻で色濃いものになってしまう。何度も入院もしたし、一時期は障害者年金の受給者にもなった。そのころの話をちょっとだけ次回以降に披露しようと思う。

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