丸山泰武のぼくが福岡でフリーライターをやっているわけ

転機

ライター21

 ライターという仕事に“魅了”されている。しかしそれは、必ずしも正確な表現ではないのかもしれない。もう少し自分の適性やら性格のことなどを深掘りしてみると、魅了されているというより、ほかに選択肢が見当たらない、あるいはほかにできることがないと言ったほうが適当だろう。手先は不器用だし、口下手だし、気は効かないし、協調性もない。そんな人間ができることといえば本当に限られている。そして、ぼくの場合、それがライターだったというだけの話だ。別に憧れていたわけでもなく、強く望んだわけでもない。ただ、その仕事をずっとつづけていけるかどうかの、大きな岐路に立たされていることだけは間違いないことだった。


 そんなある日、ハマダさんから連絡があった。「丸山くんさあ、俺の知ってるAっていう雑誌の編集部が人を探しているらしいんだけど興味ある」「興味があるっていうか、ライターを探しているんですか」「うん、まあね。俺の友達が編集長をやってるから、今度、一緒に飲みに行こうよ」「いいですよ。ありがとうございます」「いいよ。いいよ。いままでいろいろ世話になったし」「ホント助かります。日時は適当に決めてください。ぼくはいつでも大丈夫です、暇なんで」「わかった、じゃあ、また連絡するよ」。Aという編集部のことは、まったく知らないわけではなかった。ハマダさんのアシスタントをしていた同居人のカワノが、「かわいい子がいる」とか「編集長の年収はすごいらしい」とか、たまに話題に出していたからだ。“まあ、どんなところかはわからないけど、何か書かせてもらえるんだったらいいか。いやだったら辞めればいいし…” P社に入るときと一緒で、ぼくの意識はまるで学生みたいなものだったけれど、とにかくその編集長の話だけでも聞いてみようという気にはなった。


 後日、ハマダさんが設けてくれた飲みの席で、ぼくはその編集長という人と名刺交換をした。ほっそりとした体型で、なかなか知的なタイプに見えた。「タドコロといいます」「丸山です。よろしくお願いします」。ぼくたちは3人でビールを飲みながら、軽い世間話をした。ハマダさんはタドコロさんとはかなり長いつきあいらしく、お互いに気楽そうな感じで言葉を交わしていた。そんなウォーミングアップが終わったところで、当然だけれど仕事の話になった。タドコロさんは言った。「丸山くんはどんな文章を書いているの」「そうですねえ、主にはKというチェーンストアの機関誌に載せる記事を書いていました。旅とか、お店のリポートとか。本や音楽の紹介文もですね。要するに何でもです」「そう。広告はやらなかったの」「広告はほとんど。なぜですか」「いや、実はうちの編集部はHという広告代理店が仕切っているもんだから」「そうですか」。そのころのぼくは、世間の事情にはかなり疎かったけれど、その会社のことは知っていた。「タドコロさんもHの社員なんですか」「まさか。ぼくは契約。ところで丸山くんは編集には興味ないの」「編集ですか。うーん、正直なところわかりません。編集という仕事がどんなものか、よく理解できてないものですから」「まあ、それは心配いらないよ。そのうち慣れるから」「そうですか」。タドコロさんはカバンの中から、Aという雑誌を出して見せてくれた。「すごいなこれ」とぼくは思わず心の中で呟いた。ページ数にせよ企画の数にせよ、チェーンストアの機関誌とはまったく比べものにならないボリュームと質だった。