ぼくは資料に書かれていた、福岡市の“橋”に関する情報をひととおり頭の中に入れて、原稿に取りかかった。取りかかったといっても、せいぜい400字程度の記事だったから、いまならうたた寝をしていても書ける分量だ。しかしながら、何しろ初めてライターとして仕事に向き合ったのだから、緊張もするし、悩みもする。書き出しからつまずいて、ワードプロセッサのキーボードを、慣れない指づかいでカチ、カチ、カチとたたいては消し、消してはたたきを繰り返しているうちに、あっという間に終業時間になってしまった。
「調子はどう? 丸山くん」。ワタナベさんがやってきて、何やらうれしそうな顔をしながらそう言った。「やっぱり文章を書くのって難しいですね」。ぼくは、まだ最初のセンテンスしか出来上がっていないワープロの画面を隠すようにして、そんな間の抜けたことを口にした。「そうか、そうだろう、うん、難しい、難しいよね。でも、大丈夫。“なるようになる”ってビートルズだって歌っているくらいだから。それにね、その原稿、全然、急ぎじゃないからさ。また、明日がんばってみて」「すみません」「謝らなくてもいいよ。最初は誰でもそんなものなんだから」「すみません」。ぼくはもう一度謝った、というか他に言うべき言葉が見つからなかった。ライターになろうとしている割に、語彙が圧倒的に貧弱だったのだ。
ぼくは逃げるようにして会社を後にし、狭苦しい我が家に戻った。タバコを引っ張り出して、100円ライターで火をつけ、「あー、まいったまいった」と同居人たちに向かってつぶやいた。「どうだ、大将、つづけられそうか?」とベース担当のヒロが言った。ちなみに彼はぼくのことをどういう理由かはわからないけれど“大将”と呼んでいた。「どうかな、それは。ただ、この間の会社よりはいい感じではあるね。上の人がとってもいい人だし」「そうか、それはよかった」「今日はじめて原稿を書いてみたんだけど、LET IT BEだって」「はっ、レット・イット・ビー?」「そう、なるようになるってさ」「なんだかよくわからないけど、そうだな、なるようになるよ、きっと。なかなかいいこと言うね、その人」「まあね」
少なからずの人々がそうであるように、ビートルズはぼくにとっては特別な存在だ。いま思えばということになるが、そのことがぼくのライター人生の糧にもなっている。ただそれは、彼らが残した音楽や言葉というよりは、L Pレコードの付録としてついていたライナーノーツこそが、文章を書く上では大きな役割を果たしていると言える。渋谷陽一、湯川れい子、星加ルミ子といった錚々たる人々が、ビートルズの魅力をあらゆる言葉と表現を使って書き記していた。ぼくは読書こそさっぱりだったけれど、ライナーノーツだけは中学の頃から熟読した。別に当時からライターを意識していたわけではないけれど、いつか「こういう文章を書く仕事がしたい」と思ったこともある。しかし、まさかライナーノーツを読むことが、本当に仕事の役に立つなんて。いつ、どこで、何がつながっているのかなんてわかったものではない。まあ、本当に人生は“なるようになる”わけだ。