Pというその会社は、東京に本社があった。詳しいことは忘れてしまったけれど、週刊誌の一部分とか、航空会社の機内誌とか、企業の機関紙とかを制作しているようだった。要するにその福岡支社で働くことになったわけだが、支社といっても3L D Kくらいのマンションの一室が事務所だった。責任者、よく言えば支社長ということになるが、ワタナベさんという30歳くらいのライターがヘッドを務めていて、あとはデザイナーの女の子が3人いた。ぼくはワタナベさんから「今日からここに来てもらうことになった丸山くん」と彼女らに紹介されたが、就職活動をほぼやっていなかったこともあり、気の利いた挨拶ひとつもできず「よろしくお願いします」と言うのがやっとというあり様だった。
当時は80年代の後半だったが、P社はいまで言うDTPを取り入れつつあった。それは、いま思えばなかなか目ざといというか、斬新なアイデアだったが、当時のぼくは、そのことをワタナベさんから解説されても、何が何だか意味がわからなかった、というかそんなことはどうでもよかった。ただ、DTP化を図る上でワードプロセッサが欠かせないという事だけは、かろうじて理解できた。ワタナベさんは言った。「だからさ、丸山くん、原稿はワープロで書いてね。ワープロは使ったことある?」「いえ、ないです、まったく」とぼくは即答した。「そうか、じゃあ、しばらくはタイピングの練習が必要だね。」「タイピング…ですか」「そう、丸山くんはまだ若いからさ、すぐに覚えちゃうよ。だから心配はいらない」「そうですかねえ」
というわけで、ぼくのライター修行は、まずはワープロの操作を覚えることから始まった。「丸山くんは、ひらがな打ちがいい、それともローマ字にする?」とワタナベさんはぼくに聞いた。「ひらがなですね」。ぼくはキーボードの配列が、“あいうえお”順に並んでいるのを見てそう言った。「と思うよね」と彼は笑みを浮かべながらやさしい口調で言った。「でもね、絶対ローマ字打ちを覚えた方がいいよ。最初は難しいかもしれないけど。何と言ってもローマ字打ちだったら、キーボードを触るのは26文字分でいいからね。ひらがな打ちだったら、50音の位置を覚えないといけない」「はあ…」「じゃあね、この原稿をワープロ打ちしてくれるかな。今度、うちで単行本にする予定にしているやつだよ」「はあ…」
ほとんど訳がわからないまま、ぼくはその仕事をはじめた。ただ、運がよかったといまでも思うのは、その原稿が地元の新聞社を退職した、ずいぶんと筆の立つ人が書いた、美文に値するものであることだった。福岡の歴史をテーマにした、なかなか興味深い内容で、愚鈍なぼくの頭にもすんなりと入ってくる言葉で構成されていた。写経をするのと同じで、これはワープロの練習以上にライターの基礎トレーニングになったと思う。ワタナベさんはそのことも計算に入れて仕事を振ってきたのだろうか? いや違う、彼はそんなに緻密な計画を立てるタイプの人ではなかった。とってもいい人だったけれど。