ヒガシユウジのまるごとデザイン

消費者は生産者の奴隷なのか?

僕らは消費者という言葉に慣れ過ぎている。消費者という人なんかいませんよね。あなたは消費者ですかって聞かれて「はいそうです」っていう人なんてあまりいないでしょ。つまり生産者から見てモノを買って消費する人。とても都合のいい人という意味で使われてるだけで、そこには信頼関係もないし友情だってないですよね。でも不思議なことに今までこの生産者と消費者という関係以外に商品の流通があまりなかった。そうですよね。

さて、もうモノは市場に溢れ、必要なモノは十分にある現代において、モノを売るためには欲望を駆り立てる、欲望を生み出すしかないわけです。 人間のあらゆる欲望を金に変える方法を探しているのが現代の生産者なんです。 日本中の消費者のビッグデータを使ってAIによる欲望の作り方なんてものを現実化しようとしています。


そうなるとどうなるのでしょうか? 例えばみんな大好きなAmazonを例にすると、ありとあらゆる商品が Amazonの市場に集まりAmazonがコントロールするようになります。価格ももしかしたら生産量も。徐々に僕らの大好きな野菜屋さんも パン屋さんも立ち行かなくなります。ローカルビジネスがなくなり多様性のない世の中が生まれます。そんな馬鹿な!お前に何がわかるんだって言われそうですけどもあんまり間違ってないような気がしてます。


企業にとって僕らは利益という数字でしかなくなっているのです。ないモノが手に入った、今まで不便だったのがとても便利になって時間が節約できた、みたいなともに価値を分け合う関係はすでになくなりつつあります。(ローカルにはありますね。うれしい)

仲間経済の始まり

僕らは消費者としてのポジションであり続けることにあまり価値がない、そんな時代に今はあるのと思うのです。もちろん生産者は必要のための奴隷としてぼくらには消費だけしていて欲しいでしょう。そんな生産者に対して消費者が買うか買わないかの選択をするだけではなく積極的に関与する方法はないのか考える時が来てるように思います。ぼくらの幸せは半径10mとそれにつながるローカルにあるのですから。

仲間たちへ

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