連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-7

「そりゃあ、ちっとも知らんことやったの」健太郎の父は難しい顔で言った。
 源さんの父親が倒れたのは、棚田に水を引きに行っているときだった。畦道にレンゲやタンポポが咲くころになると、村の人たちは田起こしの作業で忙しくなる。まず土をいてうねをつくる。そこに水が入ると、水田はまわりの木々や空を映して鏡のように美しく輝く。男たちは水に入り、代掻しろかきをはじめる。田植えがしやすいように、T字型の木のヘラを使って土の表面を平らにならしていく。同じ時期にあぜづくりもはじまる。田んぼの泥を掻き上げ、鍬で盛り上げていく。これをしっかりやっておかないと、せっかく入れた水が漏れてしまう。
 どうやら源さんの父親は、この作業をおろそかにしたらしい。結果的に、それが幸いした。倒れたのは田んぼのなかだった。仰向けになって大の字に寝ているところを源さんが見つけた。すでに水門は開かれ、水は田んぼのなかに入ってきている。ところが当人の不手際から、水位は一定以上に上がらなかった。源さんの父親は、頭を耳のあたりまで水没させた状態で鼾をかきつづけていたという。もし正常に水が入っていたら、おそらく溺れ死んでいただろう。
「人間、何が幸いするかわからんもんだの」父親がもってきた話を聞いて、健太郎の祖父は感心したように言った。「命を落としかけたのも、その命を救ってくれたのも、両方とも酒やったいうのは、よほど酒に縁が深いんだの」
 命こそ助かったものの、予後は良くないらしい。男たちは腕組みなどをして神妙な顔つきで黙り込み、源さんの家を襲った不幸について思いをめぐらせているようだった。
 独り身の源さんは、母親が亡くなったあとは父親と二人暮らしだった。その父親が田んぼで倒れて寝たきりになった。兄弟姉妹がいるという話は聞かない。これから源さんはどうするのだろう。健太郎は年長の友人を気遣うように思いをめぐらせてみる。しかし男たちの話は、それきり源さんのところへは戻ってこなかった。
「飯場にはいろんな者が流れてきとるいう話や」仁多さんが気がかりな口ぶりで言った。「なかには前科者もおるらしい」
 鉱石の採掘現場のことだった。
「四郡みたいになったら困るの」と岩男さんが言った。
 四郡というのは、隣の県にある産炭地域のことである。かつて「焚石」や「燃え石」と呼ばれていた石炭は、江戸時代には藩の統制経済下に置かれていた。ところが維新政府になり、鉱山解放令によって誰でも石炭が掘れるようになると、全国から山師のような連中が流れ込んできて採掘をはじめた。

7/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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