ぼくらラボインタビュー

voice

小説家:片山恭一☓写真家:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

2020.11.11

kawakami☓katayama

東:今日は作家の片山恭一さんと写真家の川上信也さん、そして私の東裕治の3人で今からの写真とか小説とかどうなるのかを話してみたいと思います。
なぜこうやって川上さんとお話するようになったかと言いますと片山さんの「なお、この星の上に」という小説を僕らラボで無料で発表をするということになり、その小説に写真を組み入れたら素晴らしいなということで、川上さんにお願いしてみたところ気持ちよく了承していただきました。ならばぜひ片山さんとの対談を行いたいなということで始まりました。
  まず最初に片山さんに「なお、この星の上に」ついて話をしていただけたらなと思います。これは昭和30年代のお話ですよね。

片山:もともと書き始めたのは、福島の原発事故があって現代の社会を支えている工業技術と言うか、そういうものがどっか危ういと言うか、原発なんかも一度壊れてしまうと修理もできないし、収拾もつかない状態の上に僕たちの社会が成り立っていたんだとおもいました。
そういう現代の日本の社会っていうのはどの辺りから始まったのかと言うと昭和30年代、西暦で言うと60年前後からまあ始まったんではないかと。
あの、実際調べてみると日本の原子力発電プランというのも大体1959年くらいから出て来てるんですね。その頃に生きていたと言うか、主人公は少年なんですけども中学生ぐらいなんですけども、そういう子供たちがまあどういう空気を吸っててどういう社会の変化の中で生きていたのか、だからちょうどそれ以前の時代で言うと、となりのトトロとかテレビがないような時代から、ちょうどテレビが生活に入ってきてどんどん日本が工業化していく、そんな頃ですね。舞台は一応、中国山地の山の中。なぜそういうところにしたかと言うと人形峠というところでウラン鉱が発見されるのですね。それで国産のウランを使って原子炉発電をしようと言う計画が持ち上がって、結局その人形峠で取れるウランというのは質が悪くて原子力発電では使えないということが分かってその計画はなくなるんです。今でもその研究所みたいな所はあるんですね。まあその辺りを舞台にして、ウラン鉱が発見されたというので村が結構賑やかになるという、そこで時代の変化を感じながら生きている子供たちの物語ですね。

川上:あのエランというのはウランのことですか?方言的な言い方でそうなってるのですか?

片山:そうです。ウランのことですね。

川上:まだ2章目までしか読んでないんですけども、少年たちが出てきてエランが出てきて僕の最初のイメージでは、「少年時代」の映画のようなイメージをもちました。田舎の子供達の遊んでる風景が頭に浮かんできました。片山さんの育った宇和島を舞台にしたそういうものかとちょっと思ってたんです。それがエランというものが出てきて、そこからどんどん変わっていくんだろうなと思っています。映像的に浮かんでくるのは昭和30年代の、僕は40年代なんですけれど日本人共通の懐かしさですね。これから激動の時代になるのでどうなるのか楽しみです。

片山:東さんといろいろ話をしているんですけど、ぼくらラボとか仲間経済とか主に東さんの考えから始まっているんですけども、そういうものに対して少しずつ引かれて行ったと言うか、自分の考えていることと結構そんなに変わらない遠くないことを東さん考えているなと思って、僕の中では実感的にあるんですけども、プロの作家がいてその読者がいてという構造がもうすでに壊れていると思うんですね。

川上:ああ

片山:ごく一部プロの作家として本を出せば売れる人がいますけれども、ほんの一握りなんですね、そんな人達は。それよりも圧倒的多くの人達はただ読むだけではなくって、自分も何か書きたい表現したいという人たちが非常に増えている。特に若い人たちの中にですね、九州産業大学で文芸創作と言う教室を何年も持っているんですけれども、何か書きたいと言う願望を持っている。小説を書きたいという人が結構来るんです。でも書かせてみると全然形にならないんですけれども書きたいという衝動は強いんですね。それは写真でも同じようなことがあるんじゃないのか?もっと小説よりもある意味敷居が低く、デジカメが普及し、自分が取りたいっていう人が増えているんじゃないか?と思うんですけどもプロの写真家カメラマンとしてはこれから職業として成立するんだろうか?とその辺はどう思われてますか川上さんは?

川上:僕自身も SNS をやってますし、周りの人達も写真のプロでもない友達とかもほぼみんなやってるんですね。写真というものがすごく身近になって、とりあえず撮って投稿していて、でよく言われるんです「川上くんも色々大変になってくるねこれから」そう言われるんですけれども、例えば僕は雑誌の仕事なんかよくやっていますけれど、いろんなカメラマンのかた、スマホなんかで撮っているかたもいらっしゃるんですけども、その方にお願いしても納得のいくものが取れないんですね。そこに差が出ている、そう思っています。でもその差が分からない人たちもいらっしゃるてことはありますね。

片山:それで言うと小説を書くということにおいてもプロとアマチュアの差っていうのはあるんです。

川上:うん、うん。

片山:でも僕はその違いというのがあんまり面白くないなーていうか、僕自身が興味を持てなくなったってところがあるんですね。

川上:ほーぉ。

片山:自分がこの先プロの作家としてやっていきたい気があるかどうかと言われると、もうそんな意識はないな、つまり僕の中では作家という意識がほとんどないんです。文壇の中で有名になって本をたくさん売ってという意識がほとんどなくなっているんです。これから先もっとプロとアマチュアの差異というのはどんどんなくなっていき、今までは一方的に表現する作者、つまり作家なりカメラマンなり画家がいて、それを購入する読者がいて、あるいは愛好家がいて、という状況があって、それは残り続けるんでしょうが、一方で表現したい人同士のコミュニティと言っていいのか経済圏と言っていいのか社会と言っていいのかわからないけれども、そういうつながりを考えたほうが面白いし、未来と言うか将来性はあると思うんですね。そこで東さんと考えているぼくらラボとか仲間経済という考え方は、仲間ですから対等な関係にあるんですね。お互いに対等に自分の得意技をシェアしあうとか交換し合うとかそっちの方が未来性があると思うんです。

川上:ほーぉ。

片山:この先、今までの世の中は大きく変わってベーシックインカムみたいなものが始まるかもしれない。そうすると生きるということはケアされるようになるし、シェアなどいろんなアイデアがでてくる。では僕たちが考えるのは、どう楽しく生きるか生きがいを持って生きるか、豊かな人生を送るかって考えた時、みんながそれぞれ表現しようじゃないか、表現者として自立しようじゃないかという取り組みは面白いと思うんですね。お料理の好きな人も動物の世話が上手な人もみんな表現者だと思うんですね。小説を書くことも、写真を撮ることもそれらと等価だと思うんです。何かそういうところで半径10メートルのつながりを作れば、半径10メートルの経済圏が無数にできて、それがお互いにまた繋がってと言う、そんなものがなんとなくこれから先の社会のイメージと言うかそんな感じがするんですね。

川上:ほーおっ。

片山:とりあえず、僕の小説をきっかけにやろうと思っているわけなんです。構想としたら結構面白い試みだと思っているんです。

2話へつづきます。

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