連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-6

「町の山持ちは馬鹿じゃ」岩男さんが忌々しげに言った。「自分らは山仕事をしもせんで、ああして簡単に売ってしまいよる。おまけに山を掘っとる連中は山のこたあなんも知らんけん、恐ろしいことを恐ろしいとも思わんのだろ」
「なんともないんかの」源さんが不思議そうに言葉を添えた。「一日中暗い穴んなかで土を掘り返して、わしなら気が変になってしまう」
「そりゃあ、源さんやのうても変になろう」仁多さんが笑いながら言った。
「あの人らは大丈夫みたいやな」源さんは真顔で返した。
「いまは大丈夫でも、そのうち大丈夫やのうなる」仁多さんは答えた。
「モグラになるか」
「モグラにはならんが」仁多さんは宙に目をやってひと呼吸おいた。「わしらは身体を自然に合わせて生きとる。日が出て沈むまで働いたら夜には休む。春には春の、冬には冬の営みがある。ところがあそこで働いとる人らは、自分の身体を何に合わせてええかわからんようなっとる。そしたら人間は病気になる。身体も自然の一部やけんな」
「カネに合わせて生きとるのやろ」岩男さんがさげすむように言った。「ああした連中は、カネのためならなんでもするものよ」
「そうかもしれんな」仁多さんは答えた。「そんなもんに合わせて生きとるけん、自分がモグラになっとることにも気がつかん」
「いくらカネのためでも、モグラの真似事をするのは嫌じゃ」
「川のなか入ってガタロウの真似事をしよる源さんでも、モグラは嫌か」
「嫌じゃの」
 この人のいい源さんが、いくらか知恵遅れであることには、健太郎も子どものころから気がついている。それは彼が知的障害者であることとは少し違っている。うまく言えないが、知恵遅れは源さんの匂いであり、体温みたいなものだった。大人たちもそうした匂いや体温を受け入れて、彼と付き合っているように見えた。
「ところでおやじさんの具合はどうな」それまで三人のやり取りを聞いていた健太郎の父が口を開いた。
「ようないな」源さんは他人事みたいに言った。
「あいかわらず寝たままか」仁多さんがたずねた。
「医者はもう助からん言いよる」
「そんなに悪いんか」仁多さんはちょっと驚いた顔をした。
「若いころから大酒を飲みよったけんな」源さんはあっさりした口調で言った。「死んだおふくろは、家には絶対に酒を置かんようにしとった。あるとあるだけ飲むもんやけん。そしたら親父は木の洞やら岩の下やら、いろんなとこに焼酎を隠しとって、山仕事に行くたびに飲みよったらしい。おふくろは親父が酒に酔うて帰ってくると、おまえみたいなやつは中風になって死んでしまえ言うて怒りよったが、そういうおふくろのほうが先に死んでしまうのやけん、わからんもんだの。まあ今度ばかりは、親父もいけんやろう。若いころから飲んできた酒が、いまごろになって効いてきたんだわ。医者も好きなようにさせとけ言いよる。わしは酒を飲ましてやろう思うて買うてくるのやが、もうようけは飲まん」

6/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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