連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-4

 健太郎が釈然としない顔で黙っていると、
「昔は村の若いおなごを差し出すこともあったそうな」祖父は言いにくそうにつづけた。「じいちゃんが生まれるずっと前の話だがな。そんなこたあよくねえというんで、酒や握り飯をあげることにしたんじゃねえかの。なんぼお山の神さまでも、人間を差し出すわけにはいかん。酒や握り飯なら、毎日でも供えることができる。まあ分割払いみたいなもんかの」
 健太郎は得心のいったような、いかないような中途半端な気分だった。
「妙心寺の神さまと、山の神さまはどう違うんか」
「こりゃまたえらい話になってきたの」
「じいちゃんは、お山の向こうに神さまがおんなさる言うやろ。ばあちゃんは遠方から訪ねてくる知らん人が神さまや言うし、どれが本当の神さまなんかの」
「健太郎はお山を見ると、掌を合わせとうなるこたあねえか」祖父は別の方向から言葉を向けた。「じいちゃんは不思議と、そういう気持ちになる。村の多くの者が同じように感じて、山参りがはじまったのやと、じいちゃんは思う。あそこに神さまがおられるような気がする。そこから自然とお山を拝むことがはじまったんじゃねえかの」
「妙心寺の仏さんも拝むやろ」健太郎は仏像にこだわった。「お山と仏さんでは、だいぶ違うが」
「まあ、目印みたいなものやろう」祖父は折り合いをつけるように言った。「神さまいうのは人間の目に見えんので、いろんなものを目印にして神さまを感じるんやないかの。お山も杉も如来さんも、みんな目印みたいなものじゃと思うておけば間違いない。ばあちゃんにとっては、よそからやって来た知らん人が目印ということだの。目印はなんでもええ。いろんなもんに神さまを感じることが大事やと、じいちゃんは思う」

 いつのまにか平坦な尾根に出ていた。標高がかなり高くなっている。日当たりのいい場所でひと休みしていくことになった。各自が思い思いの場所に腰を下ろし、持ってきた水筒の水を飲んだ。日はすでに高く昇り、足元には暖かな木漏れ日が落ちている。
 前方には植林の進んだ山々が連なり、眼下に小さく村が見えた。こんな山の奥に自分たちの村はあるのだ、と健太郎は思った。普段はとくに感じないが、こうして高いところから眺望すると、いかにも辺鄙なところで人々の暮らしは営まれている。辺鄙な村は哀れなほど小さく、みすぼらしかった。両手で小さな輪をつくれば、そのなかにすっぽり収まってしまう。

4/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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