連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-2

 とにかく女たちの役目は、早朝から起きて男たちを見送る準備をすること、そして男たちが山に登っているあいだ、村のあちこちの祠にお供えを上げてまわることだった。村の男の子たちにとって、お山に登ることは、一人前の大人として認められることでもあった。昔は山参りの道中に、経験の豊かな大人たちから天候の占い方や種を蒔く時期など、農事にかんする知恵を授けられたものらしい。
 山の神の祠に着くころには、空はだいぶ明るくなっていた。男たちはさっそくお参りの準備をはじめた。山に入るときは、かならず山の神にお参りすることになっている。いつもは掌を合わせて拝むくらいだが、山参りのときは少し念入りに、家々から持参してきたものをお供えして祈りを捧げる。
 まず近くに生える檜の枝を何本か切ってきた。それを地面に敷いて、上に白飯を箸で丁寧に盛りつけていく。盛り塩をして、コップ酒とオコゼの干物を供える。オコゼを供えるのは、この魚の器量の悪さを見て山の神が喜ぶからだと言われている。すると山の神さまはやはり女なのだろうか。神さまが男であったり女であったりするというのは、健太郎にはおかしなことに思える。だが大人たちは、別段おかしいとも思っていないらしい。最後に男たちは神妙に掌を合わせて頭を垂れた。
 山の神の祠から先は鬱蒼とした原生林になる。別世界に足を踏み入れていくような心地がして、気持ちはおのずと引き締まった。大人たちも口を閉ざしたまま歩きつづけている。山に入ったら無闇に口をきいてはならない。ことさら注意されたわけではないが、そんなしきたりのことが健太郎の頭にはあった。父親の惣一郎によれば、山のなかで無駄口を慎むのは、注意が散漫になることを防ぐためだった。とくに暗い森のなかでは方向感覚が失われる。予期せぬ危険も潜んでいる。だから感覚を研ぎ澄まし、まわりの状況に気を配りながら進んでいかなければならない。
 自然の森は数百年の周期で崩壊と再生を繰り返すと言われている。このあたりの森は、ほぼ原始の姿をとどめている。ほとんど光が差し込まない森のなかは昼間でも暗く、足元には地面の土も見えないくらいにシダが群生している。ツタの絡みついた木々のあいだを吹いていく風のなかに、目に見えない妖気のようなものが感じられた。健太郎は以前に祖父から聞いた神隠しの話を思い出した。

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片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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