連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-1

 真っ暗な庭先で、男たちは焚き火を囲んで煙草を吸っている。代表を務める健太郎の父の他に、岩男さんと仁多さん、それに源さんという顔ぶれだった。三人とも健太郎が小さいころから知っている人たちだ。とくに魚掴みの名人である源さんとは、何度か一緒に魚を捕りに行ったことがある。だから大人たちに一人交じって山へ登ることに、それほど気後れを感じずに済んでいる。
 四月とはいえ、空気は冷たく張り詰めていた。空全体が凍ってしまったみたいだ。大声を上げれば凍った空に亀裂が走り、粉々に砕けて落ちて来そうだった。母親が父に風呂敷に包まれた重箱を渡した。なかには炊き上がったばかりの赤飯が詰められている。この赤飯を山頂の奥宮に奉納するのが、山参りのいちばんの重要な役目とされていた。他にも山の神様に供える炊きたての白飯が、小さな包にして幾つか用意してある。これらはお神酒や塩とともに付き添いの男たちが持っていく。
「気をつけて行っておいでな」祖母は健太郎に向かって言った。
「天狗にたぶらかされるんやないぞ」祖父がからかうように言葉を添えた。
「あんまり張り切って登ったら、途中からえろうなるけんね」母親が弁当を手渡しながら言った。
「わかっとるよ」健太郎はうるさそうに答えた。
 丸い月が冷たい闇を深々と照らしている。月の光は道端の木を照らし、その影が大根の植わった畑に落ちている。
「それじゃあ行ってきます」
 父親が見送りの者たちに向かって律儀に頭を下げた。
「ごくろうさんです」
 見送りの三人も神妙に頭を下げるのが、健太郎にはおかしかった。こうして総勢五人の一行は、夜明け前の村を出発した。
 この山参りが、どのくらい前からはじまったのか定かではない。祖父でさえ知らないくらいだから、きっと何百年もつづいているのだろう。戦争のあいだも途切れることはなかったという。「お天道さまは語ってくれぬでな」と祖父は口癖のように言った。大自然の営みは日々に移り変わり、ときに予測不能な事態をもたらす。目に見えず、意思疎通の図れない天候や風土にたいして、村の人々は四季折々に真剣な祈りを捧げてきた、ということらしい。
 村はずれから柿畑を抜けて、棚田の脇から細い山道に入る。このあたりはまだ勾配が緩やかなので楽に登っていくことができる。お山には男たちだけで登ることになっている。森の奥に祀られた祠の先は一種の結界になっており、子どもたちだけではなく、大人の女たちも立ち入ることを固く禁じられていた。女人禁制の理由については、周期的な出血のせいで不浄であるからとか、山の神様は女の人でやきもちを焼くからとか、幾つか説があるが本当のところはわからない。

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片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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