連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

エピローグ

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epi-9

「昨日はよく飲んだな」と彼は言った。「二日酔いはせんかったか」
「ちょっと残っとる」
「豊はまだ寝とるのか」
 頷いて武雄の横に立った。
「一日に何回ぐらいやるんか」餌をもらうために柵のところに集まってきている数頭の豚を見ながらたずねた。
「きまっとらん」武雄は簡潔に答えた。「暇なときにやる」
「そんないい加減な飼い方で高級な肉になるのか」健太郎が笑いながら言うと、
「自然のなかで生きとる動物は、餌を食べる時間も回数もたいていいい加減なもんよ」飼い主はもっともなことを言った。「人間みたいに朝昼晩ときまった時間に食べとる動物などおらん。台風でも来れば二日も三日も食べられんこともある。それが普通だ」
「なるほど」
「豚を飼いはじめたのも自分が楽をするためだ」そう言って、武雄はちょっと悪戯っぽい顔をした。「七十にもなって草刈りなどしたくないからな。それで豚を放し飼いにして草を食べてもらうことにしたのよ。楽をするために飼っとる豚やけん、餌もこっちの都合でやりよる」
 一つの囲いに三頭ほど入れて、草を食べ終えたころ隣の囲いへ移すらしい。すると休ませておいた地面の草がいい具合に伸びている。そうやって三つの囲いのなかを順繰りに移していくのだという。
「贅沢な飼い方をしているわけだな」
「臭いがせんだろう」
 そう言われれば、たしかに糞尿などの臭いがしない。
「臭いがせん、ハエが出んというのを飼育基準にしとる。飼育環境を良くすれば病気も防げる。養豚の先進モデルといったところやな」まんざら冗談でもない口ぶりだった。
「何頭ぐらい飼ってるの」
「何頭おるかな」武雄は頭のなかで計算するような素振りをして、「月に平均して一・五頭ほど出荷しよる」と別の答え方をした。「出荷した頭数だけ、また新しい豚を入れる。生後二、三ヵ月の子豚を買ってきてな、最初の三日間はかならず絶食させる」
 健太郎は思いがけない話を聞く構えをとった。
「子豚は生まれたときからコンクリートの上で、与えられる餌を与えられるだけ食べて、草などは食べたことがない」武雄は厭わずに説明をはじめた。「三日も絶食させとったら、連中は腹を空かせて食べ物を探しまわる。配合飼料しか食べたことのなかった子豚が、地面に生えとる草も食べるし、土を掘り返して木の根っこみたいなものも食べる。こんなもんも食べられるのか、と学習していくわけやな。土のなかにおるバクテリアも自然と腸のなかに取り込んで便が良くなる。そのころから通常の餌を三分の一、二分の一というふうに少しずつ与えていく」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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