連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

エピローグ

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epi-8

 健太郎は亡くなった父と母のことを考えた。二人とも死んでいるが、いまでもいなくなったという気はしない。森に暮らしているのではないかと思うことがある。おかしなものだ。その森に怯えていたころがある。心の奥に広がる暗い森には得体の知れないものが棲んでいる。何か邪悪なものが棲んでいると思いつめた。強迫観念めいたものにとらわれていた。いまでは遠い過去になっている。思い起こしても迫ってくるものはない。
「そういえば昭が来とったよ」失念していたことを思い出したように豊が言った。
「内藤か」健太郎は思いがけない名前を聞いた気がした。
「新吾の葬式のとき」豊は呂律の怪しくなった口調でつづけた。「誰かが知らせたのやろうな。なんやら颯爽と焼香して、遺族に一礼すると慌ただしく帰っていった。足取りも若々しくてなあ」
「話はしなかったのか」
「わしとはせんかった」そのことを心外とも思っていない口ぶりだった。「長いこと外国におったらしい。大手の商社に入ってな、退職したときはかなり上の役職やったそうな」
「住まいは東京か」
「さあな。たぶんそうやろう」
 話はそれきりになった。旧い友だちの話になると生死の境目が曖昧になる。生も死も淡い生のうちにあるように思える。
「今日行った墓地にも、冬になったら雪が降るのやな」豊が文脈を違えたようなことを口にした。
「なんの話か」武雄が怪訝そうに言った。
「雪が降ったら、墓は雪の下になるな」豊は構わずに間延びした声でつづけた。「雨が降ったら濡れるやろうな。そのあいだ新吾はずっと土の下におるのやな」
「何を言いよるんかの、こいつは」言葉のわりには親身に武雄は言った。「酔うたんか」
「そうかもしれん」豊かは素直に認めた。「死んだ新吾には悪いが、わしらはおまえを肴にしてええ気分で酔っ払っとるよ」

 翌朝、健太郎が目を覚ましたとき、豊は同じ部屋で寝ていたが、武雄はすでにいなかった。探すともなく外に出てみると、広々とした耕地のなかにその姿があった。どうやら豚の世話をしているらしい。
「これが終わったら朝飯にするけんな」近づいてくる健太郎に気づいて武雄は言った。
 七十を過ぎても武雄は運動選手のような体つきをしている。年相応の豊に比べると十歳ほども若く見える。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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