連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
エピローグ
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epi-7
「あんなものは坊主の趣味じゃ」と武雄が乱暴に言った。
「まあそうやろうけど、新吾がわしらの手の届かんとこへ行ってしまったみたいでな」
「そういえば武雄は、しばらく新吾の兄貴のところに世話になっていたな」しんみりしかけた話を転ずるように健太郎は言った。「どうしとるんやろう」
「衛さんか? もうとっくに亡くなっとる」武雄は素っ気なく明かした。「だいぶ若いころやった。事故でな」
「そうか」健太郎には初耳だった。「ブラジルへ行くとか言っていたな」
「結局、地元の建築会社に入って、ダムを造っているときに発破の事故に巻き込まれた」武雄はすっかり固まった過去のことを話す口ぶりで説明した。「ブルドーザーの扱いがうまかったらしい。人の二倍くらい仕事が早いので、重宝されとるいう話を新吾から聞いたことがある」
「そういう人にかぎって早死にするな」豊の口調はすっかり哀愁を帯びている。
「四人で泊めてもらったことがあったな」健太郎が記憶を手繰ると、
「吉右衛門爺さんの捜索に行ったときやろ」豊はすぐに喰いついてきた。「あのとき健太郎は爺さんに会うた言いよったな」
「うん、会うた」
「本当に会うたのか」
「さあ、どうやったかな」
「なんじゃ、それは」
健太郎は酔いのまわった頭で吉右衛門爺さんのことを考えた。あのとき出会ったのは、たしかに吉右衛門爺さんだった。他の者ではありえない。その一方で、自分の体験したことが夢だったようにも思われた。子どものころに聞かされた民話かおとぎ話のようでもあった。いまでもありありと浮かぶ情景は、いかにも非現実的で幻想めいた雰囲気を湛えていた。
「実在かどうかは、あまり重要ではなかったのかもしれんな」健太郎は折り合いをつけるように言った。「夢であれ幻であれ、どこかに爺さんがおる。いまも生きつづけて山の奥深くで猟をしとる。吉右衛門爺さんという名前の、不思議な力を備えた者がどこかに棲んどる。そのことにわしらは励まされとったんやないかな」
「なるほどなあ」豊が調子よく合わせた。
「ときどき爺さんのことを思い出すことがあったよ」独語めいた口調で健太郎はつづけた。「あのとき夢か幻かわからんが吉右衛門爺さんにおうた。そう思うと、なんとなく元気が出る気がした」
「まあ、そういうことかもしれんね」豊は切り上げるように言った。「もう六十年も昔のことになるのやな。ついこないだのことみたいやが。ゴム管を持って四人で山へ行きよったのが昨日のことみたいに思える」
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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