連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

エピローグ

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epi-10

「たしかに先進モデルかもしれんな」健太郎は感心して言った。
「豚も人間も自然なのがいちばんええのよ」武雄は得意がるでもなく言った。
 あたりを少し歩いてみることにした。朝の農場は長閑で清浄な空気に包まれている。実家で牛を飼っていたころのことを思い出した。毎朝の乳搾りが日課だった。あの勤勉な少年が、いまの自分と結びつかない。新緑が芽吹く季節になっていた。背の高い落葉樹が白っぽい花をつけており、その匂いが薫ってくる。すさまじい民族紛争の舞台にいたのは、ひと月ほど前のことだ。もう何年も昔のことに思える。あれは現実ではなかったような気がしてくる。
 添乗員の付いた通常の旅行会社のツアーで、参加者は男女合わせて十人ほどだった。世界のあちこちに出かけて、もう行くところがなくなったという人が多かった。男も女ともほとんどが一人で参加していた。ターキッシュ・エアラインでアンカラから現地入りし、最初に訪れたサラエボは表面的には美しく平穏な街だったが、ベオグラードあたりへ行くと戦乱のあとが色濃く残っていた。美術館や博物館は閉鎖されたままで、街のあちこちで国連の兵士が警備に当たっていた。有名なコソボのスナイパー・ストリートは、こんな至近距離から撃ち合ったのかと思えるような幅四、五メートルの小さな通りだった。建物の壁には、いまも無数の銃弾の痕が残っていた。
 心が身に添わないような足取りで歩いていくうちに、遠い日の情景が蘇ってきた。四人で山へ行ったときのことだ。武雄は特製のゴム管を持ってきていた。その日は結局、一匹の獲物も捕れないまま、歩き疲れた四人は日当たりのいい暖かな草原に寝転がった。空にはやわらかな光が溢れていた。風が顔の上を吹き渡っていった。健太郎は自分たちが大人になったときのことを想像してみた。何十年も経ってから再び草原にやって来る。同じ場所に寝転ぶと、何もかもが同じ姿で甦ってくる。目を閉じれば、いまの自分たちの姿を見ることができる。太陽の日差しの暖かさや、鼻先をかすめていく風の匂いを感じることができる。そんなことを思ったものだった。
 あれは生涯にただ一度の至福の時だった気がする。五十年もそれ以上も前の記憶は、すでに時間の遠近を失い、前後の関係もおかしくなって、遠い昔の出来事が先年のことに思えたりする。幾つもの記憶が折り重なったり、同じ距離感で並んでいたりする。本当にあったことなのか、ありもしないことをあったと思い込んでいるのか。だが六十年近くも前の浅い春の日、光に溢れた草原に寝転んで、彼はたしかにそんなことを思った。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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