連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
エピローグ
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epi-15
か細い記憶をたどって首をかしげる表情になりかけたところで、
「お花を摘んできてくれませんか」見知らぬ者に道をたずねるように言った。
「誰にでも同じことを頼むんですよ」スタッフの女性が小声で耳打ちした。
ただ頷くしかなかった。そうか、ここでは「柴野さん」と呼ばれているのか。その柴野さんは初対面の相手に、挨拶がわりみたいにして「お花を摘んできてくれませんか」と頼むわけだ。努めて気持ちを和ませながらも、心のなかは荒涼と吹きさらされたようになっている。とりあえず車椅子の前に腰をかがめ、目線の位置を相手に合わせた。彼女は目を逸らさずに、瞳にこもる光を遠く、近くした。
「おぼえているか」健太郎は言った。
「おぼえとるよ」虚ろな目をした老女はさらりと答えた。「ショウイチさん」
間違われている。
「亡くなったご主人の名前なんです」介護の女性が言わずもがなことを言い添えた。
間違われたままでいいのかもしれない、と健太郎は思った。赤の他人がふとしたきっかけで身内よりも親しい存在になる。そうやって家族をなしていく。誰もが人違いのようにして出会っているということだ。「ショウイチさん」と呼ばれることで、わしらは新しい出会いをなそうとしているのかもしれないな。
「少し車椅子を動かしてもいいですか」
二人だけになりたかった。
「お散歩ですか」
「庭に花が咲いていたから」
「二階だけなら」
「一階はダメですか」
「ご家族以外の方は二階で面会していただく規則になっています」
無理を言っても仕方ない。健太郎は了承して車椅子の解除レバーを外した。建物は一階の中庭を取り囲むかたちになっている。その庭に植えてある低木が白や黄色の花をつけているのを目にとめていた。コデマリとかヤマブキとか、うろ覚えの植物の名前を呼び水にして話をつないでいこうと思った。この人は少女のころから草花が好きだった。
「今度は花を持ってくるよ」椅子を押しながら言った。
「明日か」いつまでも若い老女は一心に言葉を繰り出してくる。
「明日は帰らなくちゃいけない」
黙って前を見ている。何を思っているのだろう。明日より先の未来はわからなくなっているのかもしれない、と現実的なところへ思案をめぐらせながら、自分のほうこそ何をどう思えばいいのかわからない気分になっている。
「豊の車で送ってもらったんだ」ひとりごとに傾いていく口調を訝りながら言葉をつないだ。「昨夜は二人で武雄のところに泊めてもらった。武雄は豚を飼っているよ」
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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